ジェームス・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(4)DELLぺーパーバツクP45

 見開きになったそれぞれのページに、アーサーとジュリアが一緒に写っている写真があった。最初の写真はそうとう昔のものだ。ジュリアは白い礼服を着て、白い帽子をかぶっている。アーサーは黒いスーツにワイシャツ、黒のネクタイをして、頭はてかてかの縮毛である。

 もう一枚はそれからだいぶたったころの、どこかのパーティで撮った写真だ。アーサーの縮毛は矯正されていて、中国襟のぴちっとした青いスーツを着て、首に重そうな金の鎖をかけ、右手の中指に大きな金の指輪をしている。その指輪は、今ジミーが持っている。ほかに欲しがる人がいたが、指に合わなかったのだ。首の鎖はどうなったか、わからない。アーサーの絶頂期の写真だ。私はそのスーツを覚えているし、金の首飾りもわかる。そして得意満面な笑顔も、真っすぐに上げた頭も。彼はジュリアの腰に腕を回していた。ジュリアは髪を上に束ねて、耳や首に銀が光り、長めのフレアのイヴニングガウンを着て、片手に煙草、片手にシャンパングラスを持って笑っているのがとても美しい。

 ジュリアが言った。「この二枚の写真はね、私がアーサーにお願いしたことがあって、二回ともかなえてくれたので、こうして並べてあるの」

 

エリック・ドルフィ論集④「コンプリート・ウプサラ・コンサート」(ライナーノーツ翻訳)

The Complete Uppsala Concert

 

 ウプサラコンサートは、1961年にエリック・ドルフィがスエーデンで行った一連のコンサートの一つとして9月4日に行われた。それぞれ地元の大学に付属する学生会館のジャズクラブによって準備され、たいていダンスバンドが一緒に出演していた。このコンサートに参加したのは、およそ400人から500人で、椅子席はなく、全員が立ち見であった。

 リズムセクションは、ベースのカート・リンドグレンほか、ピアノのロニー・ヨハンソン、ドラムのルネ・カールソンである。四人はコンサートの一時間前に顔を合わせて、数曲のスタンダードナンバーと、ドルフィの“245”を軽くリハーサルしただけだった。本番では、ドルフィは「245」で13分という最長のソロをとっている。「ローラ」はドルフィの無伴奏アルトソロである。ミルト・ジャクソンの「バグズ・グルーブ」をドルフィがフルートで演奏している。この選曲にはまったく驚かされた。

 この思いがけない貴重なレコーディングのおかげで、われわれは、エリック・ドルフィの音楽の新しい側面をみることができる。1961年のあの晩、彼は珍しくゴキゲンな演奏を繰り広げていた。

 このアルバムを、カート・リンドグレンに捧げる。彼は私たちがハニンゲで会ったちょうど一週間後に、交通事故でこの世を去った。

 スエーデンのジャーナリスト、クラエス・ダルグレンがエリック・ドルフィから話を聞いた貴重なインタビューが残されている。エリック・ドルフィが生前にニューヨークで行われたもので、その主要部分を以下に紹介しよう。

 

ダルグレン : あなたのその前衛的な演奏スタイルは、いつごろからですか。

ドルフィ : さあ、ずっと同じスタイルだという人もいるし、僕自身は変わったと思いたいし、変わりつづけたいと思っているから……わからないなあ。ただ、言えることは、僕は時とともに進歩したいと思っているし、停滞はしたくないということだね。

ダルグレン : エリックさん、あなたは自由を求めていらっしゃるが、自由というものにも一定の限度がある。たとえば、あなたのインプロビゼーションは、いつも曲のコード進行と何らかの関係を保っていますね。

ドルフィ : それは曲によって違うけれど……いくつかの曲、特に僕が自分で書いた曲はコードでやっているし、最近では単に「サウンド」と呼ぶしかないようなものもやってきた。こっちのほうがあなたのいう「自由」があるのかもしれない。以前はコード一辺倒でやっていたんだが、何というか、コードというのは音程だからね。われわれが何かやろうとすると、いつもそこにあるものなんだ。音楽作品がコードで成り立っていて、われわれがそれを土台にして仕事をするのなら、コードを無視することはできないんじゃないかと思う。

ダルグレン : エリックさん、あなた自身ご承知のように、あなたの音楽は、これまでのジャズからかけ離れています。スイングしない。ある批評家は「アンチ・ジャズ」などというレッテルを貼っていますが、こうした反響についてどう思いますか。

ドルフィ : さあ、わからないなあ。そういうふうにいう人がいるんなら、そうなんだろう。たぶん「アンチ・ジャズ」なのさ。僕にはわからない。人が心の中で何を思っているか、僕にはわからないからね。僕が言えるのはそれだけだね。

ダルグレン : もう少しくわしく話していただけませんか。あなたは、あなたの音楽で何をやろうとしているのか。難しい質問かもしれませんが、いかがですか。

ドルフィ : そうだなあ、音楽って……むかし学生時代に何かで読んだんだけど、音楽とは人間であり、人間が音楽なんだ。そして、音楽とは時代の表現であり、場所と事物の表現なんだ。僕自身が仲間のミュージシャンと演奏するとき、人間性や時代や場所が表現されていると思うし、一人ひとりの背景や経験が表現されていると思うんだ。ある音楽の個性を感じるというのは、そういうことだと思う。それぞれの人がそれぞれの音を出す、その違いをあなたが聞き分けられるというのは、異なったことがらに対する個人個人の反応の違いからくるんだよね。

ダルグレン : 大勢の人の前で演奏するとき、聴衆の反応というのは気になりますか。その日の聴衆のムードというのは演奏に影響しますか。

ドルフィ : そりゃあそうさ。聴衆と一緒になっていることがわかれば、絶対心強いし、そうじゃないときは、自分の気持ちがうまくつたわらないんじゃないかと思うからね。演奏中にメンバーがのってるとしても、どうってことない。でも、聴衆を引き入れる助けにはなるね。

ダルグレン : エリックさん、ジョン・コルトレーンとの共演について話してくれませんか。

ドルフィ : 素晴らしかったよ。音楽的にいっても精神的にいっても、本当に信じられないくらいの経験だった。すべてがビューティフルだった。今までにない演奏で、確信に満ちていて、いつも音楽を愛している人、あるいはメンバーの一人ひとりが音楽を愛しているバンドで演奏する……それがビューティフルなんだが、どうも言葉で表すのは、ちょっと難しいな。

ダルグレン : あなたにとって、すごい事件だったわけですね。

ドルフィ : ジョンはインスピレーションの塊みたいな人でね。また共演の機会があればと思っているよ。

ダルグレン : 将来の希望とか計画は? あなた自身、あるいはジャズ全般の。

ドルフィ : そう、大事なことは、僕自身……どのミュージシャンもそうだと思うけど、今やっていることを続けていけること、そのことが、私と私の仕事に最良の結果をもたらすと思う。なぜなら、仕事を続けてゆく限りは、私は成長していける……演奏しているときはいつも、次はもっといい演奏をしようと思っているからね。 (了)                 

エリック・ドルフィ論集③「エリック・ドルフィ・アット・ファイブスポット」(ライナーノーツ翻訳)                        

ERIC DORPHY AT THE FIVE SPOT Vol.2

 

エリック・ドルフィとブッカー・リトルブッカー・リトルは、ファイブ・スポットでこのアルバムの録音をした数カ月後の1961年10月、尿毒症のために23才の若さでこの世を去った。)の音楽は、新しいジャズのエネルギーであり、ダイナミズムであった。

 現在、ジャズ界にみられる革命的な動きは、時代の保守的秩序の中で抑圧を感じている芸術家達がもたらしたものであり、新しい秩序の本質と可能性について、類似した帰結に到達しつつある。マーティン・ウイリアムスが指摘しているように、ジャズ界では、このような変革の動きは、およそ20年を周期として現れるようである。不可避的に、新しい秩序は新しい桎梏となり、そのとき驚きが再発見され芸術が再生される。そのような新しい運動が起きるのを抑えることはできないのである。

 現実を見つめなおすことは苦痛を伴うがゆえに、変革は抵抗をうけざるをえない。変革者は、脅威を感じている保守体制の敵意や、音楽はこういうサウンドであるべきだとか、絵画はこうあるべきだとか、あるいは文学はこうあるべきである、こうあるべきでないといった先入観を捨て切れない大衆に直面する。そればかりか、因襲や許容や安住から逸脱して自由になることの、自分自身の不安とも闘わなければならないのである。

 このアルバムを録音したころ、ドルフィとリトルはこうした見えない力と闘っていた。特にブッカー・リトルの場合は、二律背反の状態に追い込まれていた。彼は音楽学校で学んだことから抜け出せなかったし、彼にとっては、音楽学校の教養を生かすことは、それに束縛されることにほかならなかった。なぜなら、音楽学校で学んだことは、彼が求める音楽と対立するものだったから。エリック・ドルフィのほうは、西海岸のロサンゼルスからチコ・ハミルトンとともにニューヨークヘやってきて3年になるのだが、この競争の激しい特殊な大都市でまだなお彼自身の進むべき道を見出

せないでいた。        

 この二律背反は、オーネット・コールマンと仕事をしていたエディ・ブラックウエルをのぞくリズム・セクション――ドルフィとリトルの新たな出発を支え、またその出発点を明確にするはずのリズム・セクションにもうかがわれる。ドルフィとリトルは、オーソドックスなリズム・セクションに足をとられている。ピアノのマル(ファイブスポットVol.1のノートで、ジョー・コールドバーグは彼について、「不動の影響力」と的確に評している)と、ベースのリチャード・デービスは、エキサイティングで探求心あふれる素暗らしい音楽家である。決して2人を低く評価するつもりはないが、ドルフィ、リトル、ブラックウエルとは世界が違うのである。

 それでも、このアルバムの曲を聞けばわかるように、ドルフィとリトルは外的な、同時に内面で増大する障碍をのり超えようとしている。<ライク・サムワン・イン・ラブ〉と〈アグレッション〉では、3人が自由に飛翔するときがある。ゴールドバーグがこのグループについて述べているように、編成はバップ時代に確立されたスタンダードなクィンテット――サックス(vol.1でドルフィはアルトサックスを吹いている)、トランペットとスリーリズム――だが、音楽はバップを大きく乗り超える展開を暗示している。

 ドルフィは、リトルと組んだこのクィンテットをとても気に入っていたが、それはファイブスポットに出演した2週間しか続かなかったのである。「リズムセクションはすごくよかったよ。それぞれの個性を持った3人が互いに相手の音楽によく注意を払っていた。すべてにバランスがとれていた。ブッカーのことだが、彼は生前は認められなかったが本当に偉大な天才だった。〈ライク・サムワン・イン・ラブ〉をやったのは披が好きな曲だったからだが、彼は愛情豊な人間だった。僕もあの曲が好きだ」

 〈アグレッション〉はリトルがつくった曲で、8小節のフレーズを2度繰り返す構成になっているが、「いかにもリトルらしい曲で、ソロ奏者の自由な演奏の根拠となるようにできている」ドルフィは、ファイブスポットに出演中、ブッカーの体調がかなり悪かったこと、にもかかわらず演奏に入ると痛みを忘れたように熱中していたことを憶えている。

 1961年の春に、メトロノーム誌のインタビューで、ファイブスポットでの演奏や最近のジャズ界の動向について、彼が音楽を通して実現しようとしていること、難関になっていること、しかしそれも乗り超えつつあることを語ってくれた。

  「オーネット・コールマンのグループの台頭は素晴らしいことだと思う。すべてについて彼は独特の考えを持っており、彼を低く評価するのは間違っている。 彼の音楽がもっているもの、またもっていないものについて大いに論じたらいいと思う。僕は彼のようには革命的にやれないが、彼の考えていることはよく分かるし、素晴らしいことだと思う。まじめな努カだよ。絵の具をしみこませたスポンジを足につけて、カンバスの上を歩き回るようだが、彼が納得してやっているのならそれでいいじゃないか。一方で理知的なアプローチをする者がいれば、一方で感覚的なアプローチをす

る者もいる。時として、両者は同じところに到達することもあるんだ。僕の感じでは、チャーリー・パーカーのプレイはオーネットより理知的だ。オーネットは感じたことをすべて音楽で表現している。両方とも大切なんだ。オーネットはチャーリー・パーカーと肩を並べたとは思っていないだろうがね。バードは彼以前の音楽をすべて消化し、それを発展させた。オーネットはよく研究しているが、すべてを消化したとはいい切れない。オーネットのやっていることは、来るべきジャズの要素なんだな。

 「僕の理想や志向は最近かなり左翼的になっているけれど、僕のバックグラウンドには保守的なものが残っていて、本当の左翼になれない。僕は音楽には感性的な面が一番重要だと思う。僕もそうだったが、みんな勘違いしてテクニックを重視しすぎるんだが、それは音楽学校で勉強すればできることなんだ。トランペットをやるやつが、たとえばクリフォード・ブラウンを真似て、ワンパターンの音しか出せないのは、そういうところに原因があるんだと思う。みんなが真似しているからだというが、それはある意味では正しいが、ある意味では正しくない。クリフォードはテクニック抜群の素晴らしいトランペット奏者さ。トランペットという楽器の機能を最大限生かしたビッグなサウンド、低音から高音までムラのない音という点ではファッツ・ナバロの影響を受けている。私も含めて、若い人たちはたいてい音楽学校で、大きい音をだせ、ああしろこうしろといわれている。ところが、マイルス・デビスのような美しい音を出すようになると、レッスンでつまずくんだ。それでみんな方向転換してクリフォード・ブラウンになってしまうというわけだ。ドナルド・バード音楽学校出のトランペット奏者で、いま彼はそれから抜け出ようとしているが、そう簡単な話じゃないんだ」

 バードについて語ったことは、ブッカー自身のことでもあるだろう。「クラシック音楽は基本中の基本だから、まったくわかってないというのもダメだが、くわしいからといって、これはあのフレーズと同じだ、これはあれの応用だなんていえることにはならないんだ。心の奥底に秘めて、それ自身の答えが見つかるか、何か別のものに方向づけできるまで表に出すことじゃないんだ。つまり、僕がピアノ奏者にとってもらいたいコードがあって、それを彼に渡すとする。必ずしもそのコードで演奏しなくてもいいんだが、古い考えから抜け切らないやつは決まって、音が間違ってんじゃないかなんていうんだが、僕の耳には間違った音なんてないんだ。つまりは、いろいろな音をどうやって結合するか、あるいは、こういったほうがよければ、どうやってそれらを解決するかだね。この音が違っている、あの音が違っているというのは、テクニックだけの保守的な考えで、感性を忘れているんだ。全音程と半音程からなる伝統的なダイアトニック奏法から抜け出たところに、もっと深い情緒があることは、誰も否定できないと思う。半音では表現しきれない感性があるんだ。つまり、Bの音はAでもBもなく、その間の音だというところに大きな価値がある。あるいは、BとBのせめぎあいなんだ。 

 僕は、音と音のぶつかりあいに興味があるし、フリーに興味があるんだ。でも形式は尊重している。1つの曲の各セクションはソロイストを拘束しない、基礎的な、いわば基底音に基づいて演奏していいと思うんだ。ソロイストに何コーラスやれなんて言う必要はない。「しばらくやってくれ。その中で君の物語を構成し、解決してくれればいいさ」というわけだ。

 新しい方向は形式を廃止すべきという人も大勢いるし、クラシック音楽の形式と結合すべきという人も大勢いる。クラシック音楽とジャズの関係は近いが、ゼリーで固めるようにはいかないさ。そんなことを言う人が多いわけは、ジャズは作曲という点に限って言えば進化しなかったからだと思う。ジャズは、書いてあるのは断片的な12小節だけで、あとは自力で展開するしかないんだ。個人的には、僕はクラシック音楽もジャズも、今までと違ったまったく新しいことを成し遂げる必要があるとは思っていないんだ。今までと違う新しいものをつくる意識的な努力は、並大抵のものじゃない。

 僕自身の演奏の中では、僕は不協和音に興味をもっているんだ。協和音は響きが弱く、不協和音は強い。不協和音が多くなればなるほど、響きが強くなるんだ。1本のホーンじゃないような音がでる。実際、聞くほうも何本のホーンがあるかわからなくなって、感じかたに変化が生じるようになる。不協和音はこんなこともできるんだ。

 あまりジャズを聞かない人は、ジャズは強いビートの連続だというが、それは僕も感じる。音楽を聞いていると、表現できない感情にとらわれることがあると思う。ある曲のビートに乗れないとき、うまく表現できないといいたくなるのは確かさ。今までは、悲しい気分、憂鬱な気分を表現したいときにはブルースを演奏していたかもしれない。でも、違うやりかたもあるんじゃないかな」

 リトルとドルフィは、1961年の夏の夜、まさにこの「違ったやりかた」を模索していたのだ。ブッカー・リトルは彼自身の野心を十分に理解していなかった。ドルフィはもちろん成長をつづけ、コンテンポラリー・ジャズの推進力であった。これらのアルバムは歴史的に価値あるばかりでなく、音楽を通しての二人の友情の成果でもある。そして、二人の音楽家が乗り出してゆく人生がどのようなサウンドになるか、その初期段階の記録である。

                        ロバート・レビン(1963年7月)