翻訳小説 グレアム・スイフト「ヒポコンデリア」3

 そこで私は、無数の潜在的病人が自分に言い聞かせることで効果があるような荒っぽい診断を下すことにした。「そのことは忘れなさい。君はなんでもないんだ。健康なんだ」。そしてつけ加えた。「もう来ないでくれないか」。

 それでも彼はまたやってきた。とんでない厄病神だ。大声で叫んでのどを締め上げ、診察室からたたき出してやりたい気持ちを抑えるのがやっとだった。生気のない、哀願するよぅな顔を見ると、凶暴な憎しみが私の中でわき上がってくるようになった。ぶんなぐってやりたかった。気にしないことだ、毎晩やってきて、だれに迷惑をかけるのでもなく、機嫌よく一人で酒を飲んでいる常連客をあしらう居酒屋のおやじのようにすればいいんだとも思った。ところが、そうはいかなかった。 Mに、そしてなすすべのない自分に我慢がならなくなったのだ。「見てくれ」と私は言った。「私の診察を待っている人がこんなにいるんだよ。君は本当の病気というものがどんなものか知ってるのか。君は私の時間を浪費して、本当に助けを求めている人の邪魔をしているんだぞ。出て行ってくれ。スキーでも山登りでもやればいいんだ。そうすれば、本当に医者が必要になるときがくるさ」。それでも彼は平気だった。「本当に病気なんです」。出ていけとドアを指さす私の手がふるえているのがわかった。私は完全に自制心を失っていた。 

 「だれなの、あの人」と妻が言った。道路に面した前庭が見えるダイニンでグ・ルームで、これから昼食にしようというときだった。道路の向こう側にはバス停があり、私が診察を終えたあと、最後の患者がバスを待っていることがある。妻は患者の出入りを見ていて、患者の情報を私に聞くことがある。嫉妬しているのではないかと思う。

 よれよれのレインコートを着たMがバス停にいる。妻は前からMを見ていたのだろう。

 「Mというやつで、どうしようもない厄病神なんだ」、続けて「あいつはどこも悪くないんだ。まったく何でもないんだ」と言ったのが、防禦的な、はねつけるような感じだった。突然なぜこんなことを口走ったのか、自分でもわからない。妻は驚いたようすで振り返って私を見た。

 クリスマスの少し前だった。妻の妊娠は体型ではっきりわかるようになった。私はこれまで数えきれないくらいの女性の妊娠を見てきたので、不安はなかったが、彼女の胎内の赤ん坊は私たちを隔てる壁のようであった。

 一週間後、Mと私はまた頭痛やそのほかさまざまな症状、1ダースもの神神経的な不定愁訴に戻ってしまった。私は彼に言った。「完全に健康だと自分でもわかっているんだろう。どうしてこんなことをするのかね」。

 11月の、寒々とした霧の深い日だった。こんな日は、私の診察室も居心地のよい避難所のようにみえる。私の机はオークのロールトップ式で、床にはダークグリーンのじゅうたん、壁には花と果物の静物画がかかっている。

 私はペンを机の上に置き、椅子にもたれた。率直に話し合おうと思った。

 「調子がよくないんです。 それで来てるんです」

 彼の声、アクセント、ことば、顔つき――何か変なのだ。

 私はため息をつき、椅子を回して彼のほうに向き直った。

  「君のことを聞かせてくれないか。仕事は何をしているの。事務職なんだろう」

 「生命保険です」

 顔には出さなかったが、私はこれを聞いてうれしくなった。