翻訳小説 グレアム・スイフト「ヒポコンデリア」5

安定した生活をバーバラに約束する意味で、ベイリー医師(バート大学で私のおじの教え子)が廃業、引退を考えているときだったので、彼の診療所つきの家を買った。りんごの木のある庭、私の職業的地位、教養もそのつもりだった。彼女は未知の新しい世界を開いてくれるはずだった。彼女は遊び好き意味で、ベイリー医師(バート大学で私のおじの教え子)が廃業、引退を考えているときだったので、彼の診療所つきの家を買った。りんごの木のある庭、私の職業的地位、教養もそのつもりだった。彼女は未知の新しい世界を開いてくれるはずだった。彼女は遊び好きで、活動的で、気まぐれで、私はそういうところを共有したいと考えていた。ところが、威厳をもって接しようとすればするほど、私の役どころは、からかわれ、じらされる中年男の役でしかないことがわかってきた。新婚旅行はイタリアだった。ソレント湾を見下ろす、日焼けしたブラインドの一室で初夜を迎えた。このときから、考えていたことと違うなと思うようになった。このことがトラブルになったわけではない。私はいろいろなことに悩まされないようにすること、あるがままに受け入れることを学んだ。妻の若さは完全に天性のものである。私がついていけないとしても、彼女が悪いわけではない。私は、父親が娘を見るように妻を見ることにした。彼女の楽しみは私の楽しみであり、私の存在理由は彼女に助言を与えること、彼女の楽しみを邪魔しないこと、邪魔するものがあればそれを排除すること、彼女の健康を守ることであった。私たちは、家と診療所をそれぞれの領分として、お互いに干渉しないようにした。たぶん、私が患者に向ける注意が彼女に向けるのと似ているので、彼女は嫉妬するようになったのだ。たしかに、私の患者に対する思いやりは彼女に対するそれと変わりない。私は自分の持っているすべてを考えてみた。ありがたいと思うことがたくさんあった。妻が髪をアップにして、パーティの準備をしているとき、荷物のつまったキヤリーバッグを持って、私が買ってあげた車から下りてくるとき、この光景は、現実には手を触れることができない写真のようなものだと自分に言い聞かせ、そんなことで悩まないようにした。私は幸せな男だ、本当に幸せだ。そして、そろそろ子どもがほしいなと思いはじめた。

 私は彼女がクロフォードと肉体関係にあるのを知っていた。彼は三十二歳で、血液部の新部長だ。私は怒ってもいないし、非難しようとも思わない。報いがあるなんていうことも信じない。私は考えた。これは自然なことである。許されるべきことである。 彼女にはこの火遊びが必要であり、経験が必要なのだ。成り行きにまかせるのが一番いい。終わるときがくれば、彼女は私のところにもどってきて、私たちの結びつきはより強く、快適なものになるだろう。クロフォードに対する嫉妬もなかった。研究部の者はだいたいが医師ではないが、彼も医師ではなかった。人間関係の希薄な、孤独な研究生活を送っているせいか、物事に対して医師らしいセンスがまるでない。どちらかというとやせ型の虫の好かないやつだ――もし私よりもう十六歳若かったら。バーバラとクロフォードの情事は夏の間じゅう続き、八月に終わった。クロフォードのほうから別れたのか、私に対する、あるいは彼の妻に対する罪の意識から、二人で話し合って別れることにしたのか、私にはわからない。あとで知ったのだが、彼には次の年にカナダに転勤する話があったのだ。バーバラには別れがつらかったらしい。 私の前で泣いたり、私を責めたりした。私は思った。前からわかっていたことだ。じきによくなる。二人の生活がまた始まった。二人で夏休みに西アイルランドヘ行く前に終わってくれてよかった。あちらでは、私は彼女をホテルの部屋に残し、感謝の気持ちで新鮮な空気を胸いっぱいに吸いながら、海岸を散歩したりゴルフをしたりした。

 そして、帰ってきたときに彼女の妊娠を知った。

 

 私は静かに彼女のおなかに手をおいた。妊娠した女性のおなかに触れていると、赤ん坊についてはあらゆることを語ることができる。ただし、だれの子であるかを除いてだ。

 「話してごらん」と私は言った。

 「わからない。わからない」

 私は思った。こんなことはすべて偽りで茶番だ。 

 「言ってくれたら理解できると思う。どちらにしても」

 答えはなかった。彼女が遠くにいってしまったように感じた。彼女はふとんの中で、 胎児のように丸くなって縮んでいた。

 二、三日後、Mが来たとき、私は怒りをあらわにして彼のほうを見た。 私は診察を断った。そんなつもりではなかったのだが、彼が救いを求めるような顔で、おずおずと診察室に入ってくるのを見て、何かが私の中で爆発したのだ。医師という職業につきもののいらだちからではない。危険な関係清算したい。最初からもつべきではなかったつながりを断ち切りたかったのだ。

 「出て行け」と私は言った。「もうたくさんだ。出て行け」

 彼は無邪気といってもいいような、信じられないという顔をした。これがさらに私の怒りをかきたてた。

 「出て行け。顔も見たくない」 自分で顔が真っ赤になり、自制心を失っていくのがわかった。           

 「でも先生、本当に痛いんです」

 彼はいつもの泣きごとを繰り返した。「いいや、君の痛みは現実のものじゃない」

 きっぱりと私は言った。「仮に現実のものだとしても、たいしたことじゃないんだ」

 私はMの肩を押してドアのほうにうながした。ドアを開け、彼を押し出した。

 「行きなさい。これ以上顔を見せるんじゃないよ」