エリック・ドルフィ論集⑤「ファイブスポットVol. 1(ライナーノーツ翻訳)

1961年の夏にファイブスポットにこのクインテットが登場したとき、音楽そのものだけでなく、アイデアによって多くのファンに歓迎された。当時、新しい音楽が台頭しつつあり、このクインテットも、良くも悪くも、それをはっきり打ち出していたのである。さらにまた、一人が抜きん出た評価を得ようという野心はなく、音楽そのものが大切だという点でメンバー全体が結束しているところが重要であり、意義深いのである。

編成としては、バップ時代に形成されたスタンダードな、サックス、トランペットとスリー・リズムであるが、生み出された音楽は、それをはるかに超えるものを暗示していた。

まず、エリック・ドルフィであるが、彼はどの楽器を演奏してもスタンダードに当てはまらない演奏をしている。ここではアルトサックスとバス・クラリネットを演奏しているが、リード楽器のすべてをマスターした強烈に破壊的な現代音楽のプレイヤーの一人である。ファイブスポットでの録音中、ダウンビート誌の国際批評家投票で新人アルト奏者の一位に輝き、ファイブスポットの仕事は数か月前にチャーリー・ミンガスのもとを離れて以来、初めての定期的な仕事であった。その後のコルトレーンとの共演は、大きな議論の的となった。

トランペットのブッカー・リトルは、この録音の約三か月後に亡くなった。メトロノーム誌のインタビューで彼がロバート・レヴィンに語ったことは、このファイブスポットでの演奏についても当てはまる。「僕の演奏では、特に不協和音の可能性に関心があるんだ。協和音は音が小さい。不協和音が多ければ多いほど音が大きくなって、何本の管楽器があるのかわからなくなるくらいだ。そして、音の変化もずっと複雑になる。不協和音でいろんなことができるんだ」。インタビューのほかの箇所では、不協和音の彼の考え方がさらに詳しく展開されている。「……間違った音なんて僕にはない――実際、どんな音も間違っているなんて感じたことはないんだ。音をどんなふうにまとめ上げるかが問題であって、こう言ってよければ、音をどうやって解決するかだ。なぜなら、この音やあの音が間違ってるなんていうのは、考え方もテクニックも古臭くて、感動ということを忘れている。全音階と半音階からなる従来どおりの奏法から抜け出してこそ、大きな感動が生まれることは、だれも否定できないと思うんだ。♭の音にこそ、大きな感動があるんだよ」。彼の友人のナット・ヘントフはこう書いている。「ブッカーは人並みはずれた音感の持ち主だった。それは先入観に妨げられなかったからである。彼は不協和音に身体を硬くしたり、眉をひそめることがなかった。彼はまた協和音だけでは意味がないことを知っていた。そして、現在活躍している他のジャズメンと同じように、彼の音楽は彼自身であった。二人は巨大であり、彼らの可能性は理解されはじめたばかりなのだ」

フロントラインの二人――で、演奏が理解可能なパターンで進行する安定要素を維持している。これには、ピアノのマル・ウオルドロンの働きが大きい。彼はその役を完璧に果たしていた。彼はこのような新しい演奏スタイルは、チャーリー・ミンガスのバンドで十分経験ずみなのであった。私の考えでは、彼は現代のピアニストの中で、一貫して卓越した地位を占めている一人であり、不幸にもその優秀さが当たり前のようにみなされている一人なのだ。このアルバムでは、ウオルドロンの最高に輝いた演奏が聞かれ、わずかな音の十全の意味を紡ぎ出す(これはモンクがよくやることである) と同時に、終始力強いリズムを打ち出している。

ベースのリチャード・デービスはピアノのアーマッド・ジャマルとドン・シャーリーのバンドで注目されたが、このCDでは魚が水を得たような演奏をしている。彼は一時期サラ・ボーンと仕事をしたこともある。完璧なクラシックの技巧をマスターしており、レナード・フェザーの「ジャズ百科事典」の中で、ただ一人、セルゲイ・クーゼヴイツキー()が好きだと答えていた。彼は現代のジャズに、ベースの役割の拡張という最も興味深い現象をもたらした数少ないベース奏者の一人である。

 () 革命後のロシアからアメリカに亡命したコントラバス奏者、指揮者。

ドラムのエド・ブラックウエルは、オーネット・コールマンのカルテットの一員として著名な新しいジャズの先駆者であり、コールマンは「私の聞いた中で、だれよりもリズム感がいい」と言っている。

ある意味で、傑出したプレイヤーが集まって新しいグループをつくると、とんでもないことが起きるといういい例がこのCDなのである。録音が行われたときの雰囲気(当夜の演奏は、これまでになにない高度なものであり、また内容豊富なので、このアルバムはシリーズの一枚目となる予定)はいつものファイブスポットと違って、パーティのようであった。友人やファンが招待され、参加した。ナット・ヘントフがいた。彼は作家として知られているが、A&Rとしてエリックとブッカーの録音を担当したこともある。アイラ・ギーターとテッド・ホワイトもいた。エリックの顔と髭がいいといってチャンスをうかがう画家もいた。このアルバムの写真を撮ったプレスティジのアート・ディレクターのドン・シュラインはフラッシュのせいで失明の危険があるというのに、フラッシュをたきつづけた。しかし、参加者からは拍手や歓声は聞かれなかった。録音があるのを知らなかった客の中には、ニューヨークのファイブスポットはいつもこんなに静かにジャズを聞いていると、勘違いした人もいるかもしれない。ニューヨークでは、さまざまな「新しい動き」が生まれつつある。セシル・テイラーオーネット・コールマンジョージ・ラッセル――このアルバムが生まれたのも偶然ではないのである。さらに言えば、三人のソリストがそれぞれ自作の曲を出しているところも、協同作業的な編成の特徴が出ている。マル・ウオルドロンの<ファイヤー・ワルツ>(ドルフィはアルト)は、基本の4/4拍子でないところが若い演奏者に関心が広がっている。ブッカー・リトルの<ビーバンプ>(ドルフィはクラリネット)は、サスペンションコードという最先端のジャズの奏法がとり入れられている。LPのB面は、すべてドルフィが自作の<プロフェット>をアルトで吹いている。バラード形式に似ていて、エリックの友人である画家のリチャード・ジェニングに捧げられている。彼はプロフェット(預言者)と呼ばれ、エリックのプレスティジ最初の二枚のLP、<アウトワード・バウンド>と<アウトゼア>のジャケットの絵を描いている。

ここに収録された演奏の優れた点を個別に数え上げたらきりがないし、収録時にやり直しのきかないこれだけの顔ぶれがそろったことは驚きでさえある。しかし、それはもちろん、最良のジャズのあるべき姿なのだ。ここで演奏している音楽家たちが存在する限り、ジャズは究極の到達点まで生きつづけることができるのである。               

                         (了)