ジェームス・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(5)DELLベーパーバツクP52

 「こんな時間に」とジュリアが言った。10時を少し過ぎていた。

 「いいじゃないか」と私は言った。「君の秘密の恋人に会ってみたいな」

 ジュリアが立ち上がると、二度目のベルが鳴った。「秘密の恋人どころか、変なやつかもしれないから、一緒に来てちょうだい」

 彼女は私の前を歩いてホールにおり、ドアの小さな穴から外を覗いた。「あら、まあ」と彼女はうれしそうに笑って私を見た。「秘密の恋人に会いたいって言ったわね。さあ、どうぞ」と彼女はドアを開けた。「お入りなさい。ジミー!」

 きちんとした服装のジミーがいた。彼に会うのは二年ぶりぐらいだが、前に会ったときはこんな服装はしていなかった。人のことは言えないけれど。私はジミーが大好きだ――愛しているといってもいい。彼はがっしりした体形で、きつね色の肌で、大きな褐色の瞳、のみで削ったような角張った顔の、とてももの静かな男だ。ランターンのような笑みを浮かべ、土曜の夜のような声だ。私はいつも彼のことを、子供たちに囲まれてみんながあとにもさきにも聞けないようなほら話をして、周囲にはじけるような笑いが起きるのを楽しんでいる爺さんのようだと思っている。

 アーサーが死ぬ前の数か月のジミーの行動には驚かされた。トラブルがあったときは大勢の人がいたわけではないが、ジミーは現場に居合わせたのだ。いろいろな意味で、彼が受けた衝撃は私よりも大きく、彼は事件について私にも話すことができなかった。彼は、酸に浸食された、ひからびた灰色の骨を葬儀で見た。その後、彼はアーサーと暮らしたことのあるこの家の二階に閉じこもってしまった。私は旅行中だったが、私が不在だったとしても、私は世界でただ一人、彼を助けることのできる人間だったのだ。

 ジュリアはジミーを助けるために家に居させようとしたが、彼は家を抜け出してアーサーの墓の前で悲しみに暮れていたのである。思い余ったジュリアは、彼に転地をすすめた。私が彼に会ったのは出発の直前だった。

 見たところ、彼はすっかり立ち直ったようだ。黒のブーツ、青いズボン、ダーク・タンのレインコート、彼は荷物をポーチに置いてジュリアを抱き寄せた。しばらくしてジュリアは離れて彼の肩に手を置いた。

「連絡してくれればいいのに。どこから来たの?」

「ローマから来たんだよ、姉さん」

 ジミーは息を切らせてしゃべるくせがあった。危険を察して大急ぎでしゃべるときのようだ。それが始まる前に、彼は視線を上げて私のほうを見たので、お互いの腕の中に飛び込んだ。「やあ、きょうだい」とジミーは言い、私たちはしばらく抱き合っていた。抱きしめ、抱きしめられていることで、大きな安心感があった。彼の眼がうるんで、私も涙がこみ上げてきた。互いに頬にキスし、私はポーチに出て彼の荷物を持ち、ドアを閉めた。「家にいるんだろうと思ったよ」とジミーが言った。

 「どうしてそれがわかったの?」とジュリアが尋ねた。彼は笑ってもう一度彼女にキスした。「電話がずっと話し中だったからね」と彼は言った。それから私のほうを見て「姉さんは僕に鍵を渡すのを忘れたんだよ」

 「鍵を替えようと思っていたのよ」

 「だれにも知られずに、うまいぐあいに弟を寒空に締め出そうってわけかい」彼は楽しそうに笑った。これには驚いた。「おいおい、パーティやってたんじゃないのか?僕にも飲ませてくれよ。何か食べるものはあるかい?まさか僕のケツを蹴とばして近くの中華食堂へ行けって言うんじゃないだろうね。」彼は脱ぎかけたコートを途中でとめて、にやりと笑った。

 「コートをちょうだい」とジュリアはコートを受け取って、彼のやせた背中を軽くたたいた。「さあ、入って。ホール、ジミーを中に入れて。有り合わせだけど、食べてね――どうやってここまで来たの?」

 「レンタルでね。運転はできるさ」彼と私はホールに入った。ルースがリビングの入口に立っていて、トニーとオデッサがそのうしろにいた。「やあ!」とジミーが大きな声を出した。「家族全員じゃないか。ママ、こっちへ」彼とルースは泣き笑いしながらしっかり抱き合った。ルースはジミーの手を引いてリビングに入っていった。二人が何を話しているかわからなかったが、互いにとてもなつかしそうだった。ジミーはオデッサの前に膝をついて、彼女の手を強く握った。トニーはその後ろに立っていた。ジュリアが入ってきて、段差の上に片足を乗せながら私の隣に立った。ジミーは立ち上がり、今度はトニーの首に腕を回して抱きしめた。トニーの顔を見ると、うれしそうでもあり、不安そうでもあったが、自然の情愛がこみあげてきたのか、にっこり笑ってジミーに言った。「僕はあなたのことを考えていたんだ。きょう会えると思ってたよ。本当だよ。歌が聞こえたんだね」

 「歌ってなに?」彼はほほえみながら眉をひそめた。ちょうど、ジュリアが部屋に入ってきた。「昔、アーサーがよく歌った歌を私が歌っていたの。私はまだ牧師だったわ」

 ジミーはトニーを見てほほえんだ。二人はすっかり打ち解けたようだった。「そうだね。君の言うとおりだよ。姉さんの歌が僕をここへ呼んだんだ」彼はテーブルのほうに歩いていった。「なんだい、凄いごちそうだったみたいだね」

 だが、ルースとジュリアが皿を片づけたあとだった。「料理が温まるまで飲んでいてよ」とジュリアが私に言った。そこへ「ごめんなさい」と、ルースがにこやかにリブを持ってきた。オデッサは「すぐ戻ってくるからね」と言いながら、ポテトサラダと肉巻きを運んできた。トニーがグラスを持ってきた。

 私はジミーに酒を注ぎ、自分にも注いだ。ジミーは腰をおろしてブーツを脱ぎ、クッションに頭を乗せ、もう一つのクッションに足を乗せて私の手からグラスをとり、酒を飲んだ。

 私が彼の隣にすわると、彼はグラスを上げた。

 「会えて本当にうれしいよ、きょうだい」

 「僕もだよ」

 私たちはグラスを合わせ、飲んだ。ジミーと私の間に、心地よい緊張が流れた。沈黙を破る言葉がどんなものであれ、二人の旅がまた始まるのだ。

 「それで――ローマで何をしてたんだい?」

 「何をしてたかって?よくわからない。いや、わかってる」彼は煙草を取り出したので、私は火をつけてやり、自分も煙草に火をつけた。ジミーの静かなところは、いなくなったと思ったら、人目につかないところでじっとしている猫のようだった。彼は笑って言った。「巡礼のようなことをやってたよ。イスタンブール、ロンドン、ベルリン、ジェノバ、ベニス、アーサーと歩き回ったパリやアーサーが行ったところ。バルセロナ――あのころは楽しかったなあ」彼は笑って酒をすすった。「キリストが十字架を背負って通った道。誤解しないでほしいんだ。僕がどれほど彼を愛していたか、わかったよ――今でも愛してる。そして――思い出に傷つかないようになった――もうだいじょうぶ。この世界では、だいじょうぶなんてことはありえないんだけど、僕の言いたいことわかるよね。神やそのほか何でも、呪うことをやめたんだ。僕を傷つけたすべてのもの、僕を押し潰したすべてのものを」彼はクッションの上に背中を伸ばした。「そのうち全部話すよ」