ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(8)DELLぺーパーバツクP90

(以下に登場するクランチは、これまで紹介されたレッド、ピーナットにつぐ、コーラスグループ<シオンのトランペット>の最後のメンバーだった)

 さて、クランチのことだ。彼は<シオンのトランペット>のメンバーの中で一番背が高かった。オーディションを受けた若者の中でも一番だった。もし雷鳴というものが人間の形をとったら、クランチみたいなんだろうと私は空想したものだが、そんなふうに無邪気な人間でもあった。豊かな黒い縮毛をいくつかに分けて結び、小鼻が張っていて、精力的でもあり、虐待を受けたようでもあった。唇が厚く、笑顔が素敵で、欠けたところのない白い歯がきれいに並んでいた。彼はやせてはいたが、たくましく、バスケットボールをやっていて、彼の言葉でいうと「ご婦人たち」によくもてた。

 この言葉は、彼の当惑ぶりをよく伝えている。男でも女でも、欲望に火をつけるのが目的で生まれてきたようなやつがいる。それが天性のようなやつがいるのだ。自分の――相手の欲望を満たそうとする意図は当たり前で、笑顔も容貌もその意図の現れなのである。そんな意図がむき出しになっているわけではない。往々にしてそれは簡単には見破られることなく、相手には悟られない無邪気な装いをしているのだ。

  そんな連中は、愛という見せかけにとんでもない酷い目に遭うのである。私の経験では、そんな連中はつかみどころのない使い捨ての欲望の対象にされて、逃れる術を知らないのである。自分を守る理性も失っていると気づいたときは、もう遅い。これは、あのどうにもならない無邪気さのせいであり、無邪気さが足りなければ、それだけ魅力に乏しいことになる――無邪気さを野性そのものの躍動する情熱に目覚めさせるのはすべての人間の天性に根付いている夢想である。それは目もくらむようなことであるし、恐らく地球を回転させているのはその力である。すべての夢想には、尊敬と呼ばれる愛の苦役が欠けているのである。ずっと後になって、クランチは私に言ったことがある。「針の先っぽにぶらさがっているようで、嫌になったよ」。彼は局部用サポーターをつけたキングコングであり、コートでボールをドリブルし、まちを行けば子どもの頭をなで、婆さんや視覚障がい者が交差点を渡るときは手助けしてやる恵まれない男だったからだ。彼は虐待され押し潰されていたが、いい奴だった。