ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(30)DELLぺーパーバックP351~  

ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(30)DELLぺーパーバックP351~

 シェルダン広場と東18番通りの間のどこかで、ジュリアと私は恋に落ちた。

 当時のニューヨークでは黒人を乗せるタクシーは少なかったので、私たちはずいぶん歩いた。夜、手を挙げてタクシーを呼ぶと、近寄ってきたタクシーは客が黒人だとわかると、あたかもソドムから脱出するロトのように、向きを変えて走り去ってしまう。三台目のタクシーに逃げられたとき、ジュリアが運転手にではなく、私に苛立ちをつのらせているのがわかった。道路の真ん中でタクシーの尾灯に罵声をあびせている私の手を取って、「歩きましょう」と言った。彼女は正しかった。でも、私だけが悪いのじゃないという思いが私を傷つけた。しかし――ジュリアは<彼は長い鎖につながれ、もう一人は殺された>と歌う女たちの長い列から進み出る。私は怒りを抑えながら、誇りが見えてさわれるようポケットに入れ、ジュリアと歩きはじめた。

 時刻は真夜中ごろ――遅いとも、まだ早いともいえた。シェルダン通りから東18番通りまでは、二人で話しながら歩くと、それほど遠い距離ではない。

 話しながら歩くということは――二人の気持ちが離れているとしても――同じ事物を通過するということだ。私たちのどちらも人生をそんなふうに考えたことはなかった――どういうわけか、いつも無情に引き裂かれていたからだ。二人とも、歩きながらそんなことを考えていたわけではない。言ってみれば、今私が考えていることははるか昔のことに過ぎないと、遠ざけているようなものである。歩きながら、私たちの気持ちは少しずつ近づいたかもしれない。これは温かいことでもあり、怖ろしいことでもあった。結局のところ、ジュリアはまだ子どもで、やけに気にさわる少女説教師であった。私はそれぞれ異なる事情で今はなき彼女の両親を覚えているし、その後、彼女が弟を大切にしてきたことを知っている。私と並んで歩きながら話している彼女のすべてを知っていて、何も知らないのだった。私にはただ彼女がどう私の気持ちを動かすか、彼女がどう私の心を震わせるか、長い間考えてもみなかった幸福について、喜びについて、つまり希望について考えるようにさせるかわかっただけだ。私には希望は無用だった。立ちどまることを知らなかったのである。

 私たちはつないだ手を振りながら、無言で子どものように――思えばそれぞれかけ離れた過ごしかただったが――歩きつづけた。18番通りをまがってから彼女のアパートまでは、長い長い暗い道だった。だいぶ前から、二人は話すのをやめていた。

 4番街を横切って、彼女のアパートがあるビルまでくると、彼女は言った。「ここにくるたびに、クランチと14番通りの彼の部屋を思い出すわ。彼と別れる前、二人で一度この辺を散歩したことがあった。それで、時々、私一人で散歩することがあるの」彼女は動揺もためらいもなくこれを話したが、一瞬、かすかに何かが彼女の内部に生起したのはたしかで、彼女の手と声から動悸の乱れを感じた。

 私は尋ねた。「最後にクランチに会ったのはいつ?」

 「ニューオリンズに会いにきてくれたわ。でも、事件のことは何も知らなかった。私からは何も言えなかった」すぐにつづけて「いいえ――何か知っているようだった。でも私の身に起ったこと――流産したことは知らなかったわ。子どもをなくしたと悔みながら生きてほしくなかった。私の父が私のおなかを蹴ったために流産したなんてね、クランチの知らないことで、フェアじゃないもの」沈黙が流れて、彼女の靴音だけが聞こえた。「そのことを、クランチが私を愛してたと思わせる道具に使うようで、嫌なんだ」

 <そのことを、クランチが私を愛してたと思わせる道具に使うようで、嫌なんだ>

 人と話しているときに、相手の話が本当だと思えるし、本当のことを話していると理解することがある。しかしまた、自分が何を言っているのか、相手がわかっていないこともある。つまり人間は、自分が話したと思っている以上のことを言外に暴露してしまうことがあるのだ。概して、真実が語られることが稀であることの理由はこういうところにあるのだ。ジュリアはクランチが彼女を愛した以上にクランチを愛したことを語り、彼女がどれほど父親を愛したか、愛していたかを語った。私はそう感じとった。ジュリアは重過ぎるものを一身に引き受けようとしていたのだ。