ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(37)DELLぺーパーバックP436~

ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(37)DELLぺーパーバックP436~

  ピーナットが行方不明になった衝撃で、我々は散り散りバラバラになってしまった。彼の祖母は部屋に閉じこもって空しく彼の帰りを待っていたが、三カ月たって、捜索に出ようとしたのか、キッチンで倒れているのをレッドの母親が見つけた。旅に出るような姿で、鍵を握りしめ、荷物がいっぱい詰まったスーツケースがそばにあった。

  レッドの居所はつかめなかった。ピーナットの祖母の葬儀が済むと、レッドの母親は荷物をまとめ、親戚の残っているテネシー州へ引っ越した。五十をちょっと過ぎたくらいの若さであったが、ピーナットが行方不明になってからめっきり老けこんで、髪もすっかり白くなり、肌もつやを失ってしまった。最後に私が会ったときは、彼女は「もう笑うことを忘れてしまったよ」と言っていた。「ピーナットはよく私を笑わせてくれたからねえ」レッドの名を口にすることもなく、引越し先のメモも残さず旅立っていった。

 アーサーは西部の諸都市を公演して回り、シアトルからカナダ、それから初めてとなるロンドン、パリ、ジェノバ、ローマを訪れた。彼のハガキはいつも簡単なことしか書いてないが、ヨーロッパで変化が生じて、味気なく、慎重で辛らつになったような気がした。こんなことを書いてきたことがある。「こちらでは修道院のマザーになったみたいに孤独だよ。でも、そのほうがいいのかもね。他人を近づけなければ、傷つけられることもないから」これだけでは足りないと思ったのか、「愛はこの世で最も貴重なものだが、得難いものでもあるよね。兄さん、愛はどこに隠れているんだろうか」とも書いてあった。私には彼がゴスペル歌手から脱皮する必要に迫られて、慎重に考えているように思えた。

 そのころ、私はアーサーの歌には特別の関心を持っていなかった。アーサー個人の問題であり、私には関係がないと思っていたのだが、ある事件をきっかけにこの考えがゆらぎはじめた――たぶん、明白だと思っていることが一番わかりにくいのである。アーサーのノートから、時間の経過とともに友だちの名前が消されているのが気がかりだった。レッドはどこにいるのか。クランチとはもう会えないだろう。行方不明のピーナットは殺されたのかもしれない。この三人はアーサーをリードボーカルとするゴスペルグループを組んでいた。ジュリアは私のものになったが、クランチのことは忘れられないだろう。ときどき彼女はアビジャンからつかみどころのない手紙をくれた。たぶん、うまくいってないのだろう。しかし、私は彼女のことは考えないようにした。ジミーとも会わなかった。18番街から動いていないだろう思い、訪ねてみようと思ったこともあったが、やめておいた。

 私は不動産会社から黒人向け雑誌の編集部に移った。フォークナーのうす気味悪い顔を見なくてすむのはせいせいしたが、新しい職場も雰囲気が悪くて、万事オーケーというわけではなかった。ただ、それは仕事のせいなのか、ジュリアを失ったせいなのか、単純に自分のせいなのかわからないまま、俺は不用で不要で、歌にあるような無用者なんだと感じていた。

 だが、私は他者の集団が好きで、朝起きて地下鉄で出勤し、職場という薄い人間関係の中で一日働いてくたくたに疲れ、小さな安っぽい満足感に浸るのが好きなのだ。私が同僚とうまくやっていけるのは、仕事をきちんとこなして、野心を抱くこともなく、会社の発展計画なんかには無頓着で、他人の職分をおびやかさないからだとわかっている。私はチャンスを窺っていたが、時間は待ってくれない。時は移る。数年のうちに実績をつくらなければ、格下げされ、同僚や上層部は軽蔑と憐閔の目で私を見るようになる。そんなことには耐えられないし、そうなったらもう人生下り坂というものだろう。

 はっきり言ってしまえば、私は広告業というものをまじめに考えたことがない。実にくだらない仕事だ。(三つのカップのどれにコインが入っているか当てる)シェルゲ―ムのようなもので、完全に吸い込み原理に基づいたものなのだ。こんなイカサマにひっかかるやつはアホだ。広告が読者や視聴者に吹き込む人生観は――逆もまた真なり――現実あるいは人生の真実を我慢のならぬもの、耐えきれぬもの、恐ろしいものとねじ曲げ、結局のところ虚構にしてしまうのだ。読者や視聴者は、選ぶのは自分だと夢想しているかもしれないが、けばけばしい愚劣なイメージにしがみつき、情け容赦なく巧妙にブランド品を買わされてしまうわけである。たしかに、社会の批判を受けたり、世間の評判は当てにならないと知らされるときはあるが、楽しげな映像や音楽によって簡単に打ち消されてしまうのだ。コマーシャルソングは、繰り返し繰り返しこの国の信じがたい栄光を謳歌し、国民は悲観的であってはならない、緊張してはならない、狂気にとりつかれてはならない。いかなるときも、一瞬たりとも冷静さを失ってはならない。額にしわを寄せてふさぎ込んではならない。男らしく女らしくせよ。子どもはいつも明るくほがらかでなくてはならない。目は生き生き、髪はつやつや、歯は白くなくてはならない。しぼんだ胸、たるんだ腹、たれた尻ではいけない。いつも希望をもち、絶望にとらわれてはならず、過激な集団の過激な行動に走ってはならない――と徹底的に教え込まれるわけである。かくて、愛は家庭用良品認定シールとなり果て、エデンの園から追放されたにもかかわらず、頭金が不要で、円満な近所づきあいの中で成熟するのである。