ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(38)DELLぺーパーバックP454~①

ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(38)DELLぺーパーバックP454~①

  カフェ・ド・フロレのテラスにすわっていた赤毛の大男が、テラスのドアを開け、にこやかな笑みを浮かべてアーサーに近づいてくる。

「お邪魔ですか?」

屈託のない笑顔で、黒い瞳にはあたたかさがある。

「構いませんよ。どうぞ」と、アーサーは椅子を目で示す。

「ありがとう」と、赤毛の男は言う。彼は腰を下ろし、周囲を見回し、時計を見る。「ここはもうすぐ閉店ですよ。よかったらほかの店で飲みませんか。ここから2分ぐらいのところに知っている店があります」

「いいですね」アーサーはコニャックを飲みほし、レシートを見てテーブルに代金を置く。二人は立ち上がる。

 「アメリカの方ですね」と赤毛の男は言う。「チップをだいぶはずみましたね。フランスの経済が乱れます」彼はフランスの経済を笑いとばすように笑い。アーサーをうながすように外に出る。

通りに出たところで、彼は手を差し出す。

「ガイ・ザラスといいます」

二人は握手する。「アーサー・モンタナ」です。

「ああ、同じ名前のバーが近くにありますよ――これから行くところは違いますが」二人は歩きはじめる。「モンタナ州からとった名前じゃないでしょう?」

「そうじゃないといいですれけれどね」とアーサーは言い、二人で笑う。

最初の角を右に曲がる。五、六人の少年少女が談笑していて、バレーのアラベスクのポーズをとる者がいる。しっかりした大股の足どりで、身体をゆらしながら、まっすぐ前を見て歩く男がいる。グレーのスカーフが首から肩にかかっている。短い赤い巻毛が風に吹かれてゆれている。

「パリは初めてですか」

「そうです。着いたばかりなんですよ。二日前です」

「モンタナから――?」

「モンタナは行ったことないんです。ニューヨークからロンドン、それからパリへ来たんです」

ガイはアーサーの肘に軽くふれて合図し、さらに暗い細い路地に入る。狭い道に人があふれ――影が交錯し――音楽や話し声が道の両側の明るい窓と出入口から聞こえる。窓にもたれあるいは外に出て商品の品質、値段について応酬する市場を通り抜けているようだ。

「フランス人はどうですか?」

「わかりませんよ。話をしたのはあなたが初めてだし。でも、パリにはとても興味ありますよ」

ガイは思いがけないことを言われたようにアーサーの顔を見て、うちとけた照れくさそうな笑顔を見せた。

二人はロックされているらしいドアの前で立ちどまる。すぐ近くの窓からバーらしい内部のようすが見え、活気に満ちた音楽や話し声がもれてくる。ガイはドアのベルを押し、アーサーの懸念を打ち消すように笑いかける。「だいじょうぶ、だれの邪魔にもなりません。個人会員ばかりですから」

ドアが細く開いて人の目だけが見える――アーサーはギロチンを思い浮かべる――ブザーが鳴ってドアが開く。

 ガイはアーサーを前に押し出す。一歩入ると、玄関ホールは狭く、灰色がかった青というか、ほこりっぽい白で、その先は天井の高いクラブ入口である。入ってすぐの階段に腰を下ろしている客もいる。左側に通路があって別の部屋がある。右側には小さなカウンターがあって、そこにブザーを鳴らしてドアを開けてくれた女性がすわっている。ドアの隙間からガイを見て、ドアを開けるよう彼女に指示した黒髪の男性が笑顔でガイと握手する。フランス語と音楽がどっとアーサーに押し寄せる。見知らぬ客の笑顔の波に溺れそうになる。また、アーサーとガイのコートを受け取り、優雅に名前を名乗りながら握手する青年の笑顔、カウンターから身を乗り出してガイの頬の両側にキスし、名前を名乗りながら待ちかねたように「ムッシュ・モンタナ」と呼びかけてアーサーに握手を求める女性の笑顔ももてあます。そんな中、ガイはひたすら顔なじみの客に愛想を振りまきながら、アーサーに笑顔や挨拶はいいから前に進めと肘で突いて合図する。バーには大勢の客が立っている。アーサーには獲物を求めて襲いかかる男たちのように見える。階段から熱い視線を送る男女がいる。左側の部屋にはキッチンがあるようだが、内部はニューヨークのハーレムを思い出させて、目をそむけたくなる。

 ガイが右のほうを見ると、空いているテーブルはない。彼は笑顔で手を振り、アーサーの右を歩いて彼がテーブルに近づかないようにする。