ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(19)DELLぺーパーバックP218~

ニューヨーク生まれの者が他の都市のことを扱うのは、まったく無茶というものである。せいぜいうまくいって「間違ってる」、最悪の場合は「でたらめじゃないか」と見えてしまう。どの都市も悪意があり、支離滅裂なのである。どの都市も歴史を――いかにも光栄あるかのように――捏造し、記念碑や記念像、記念広場、記念公園、記念大通りなるものをつくっている。こんなものは、ニューヨークでは、おおかた跡形もなくなっている。ウオール街の片隅、オールド・ブロードウエイ、ウエスト・ブロードウエイの旧道、ワシントン広場の内部と周辺、よほどの研究者でなければ近寄らないようなブロンクスの一地域に残っているだけである。リバーサイド・ドライブに沿ってとんでもない派手なモニュメントがあるが、リバーサイド・ドライブというのは、歴史的に見れば、ハーレムの西端である。ハーレムがかつてオランダ領であったことを示す記念碑のようなものは何もない。わずかに二つのaが入ったニュー・アムステルダムという地名、あるいは42番街の映画館の名にそのなごりをとどめるだけである。イギリス人がオランダ人からこの地を奪ったときに、愛する母国のまちヨークにちなんで、ニューヨークとした。その中に、マンハッタンという先住民の名がついた島があったが、それはそのまま残されたのである。征服者たちは大切なことを見落としていた。私は血にまみれたこの土地の聖霊が<ここまでだ。ここを越えてはならぬ(ヨブ記38:11)>とささやいているように思えてならない。マンハッタンという島は、その上に築かれたニューヨークよりも強い。歴史がそれを示してきたことを、我々はあとになって知るであろう。

結局のところ、ニューヨークの支離滅裂は、フィラデルフィアやボストンやワシントンのばかげた忠誠心よりはましである。フィラデルフィアではベンジャミン・フランクリンの悪口をいうものは一人もいない。ボストンではクリプス・アタックスの悪口をいうものは一人もいない。商業者の私的利潤追求から起きた暴動に過ぎない茶会事件が、それほど賞賛され、過大評価されているということである。