ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(42)DELLぺーパーバックP535~ (終了まで24ぺージ)

ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(42)DELLぺーパーバックP535~

(終了まで24ぺージ)

 そのころ、私はとても幸せだった。ルースがいたからだけでなく、ジュリアが戻ってきてくれたからだ。この二つの事実は互いに関連していた。もしジュリアが戻ってこなかったら、ルースがいたとしても、ほかのだれかがいたとしても、私は自由になれなかったろう。そして、なぜ私が自由でないか知ることもなかったろうし、ルースとジュリアを結びつけることもなかったろう。雲が切れてはじめて雲の厚さがわかり、放浪の旅の長さがわかるのだ。それがジュリアとの再会だった。私には責任があり、約束があり、個人としてのプライド(もしくはプライドとしての個人)、そして比較的強い意志があった。これらは決してつまらない関係ではないが、私はできること、できないことはわきまえている。それらは甲冑を身につけることを助け、教えるが、脱ぐことは教えないのだ。何かを渇望し、何かが焼け、ついには何かが臭いを発散しはじめる。そして、自分の臭いが自分でどうしようもなくなると、生きることが惰性となり、逃避となるのである。私にはアーサーという弟がいるが、もう立派なおとなだ――弟であり、私の被後見人というわけではない――そして、私が彼のコンサートの切符を買えないときに都合してくれるというわけでもない。彼が私の後見人というわけでもないのだから。

 というわけで、その年の冬は私は32歳を過ぎ、33歳になろうとしていたが、ウエストエンドの私のアパートは、遠くからトランペットのかなでる音が聞こえてくるような、楽しき我が家だった思い出がある。

 ジュリアは多忙で、家を留守にすることが多かった。そして、彼女自身も驚いたかもしれないが、家を空けていることがさらに彼女の価値を高めたのである。彼女は当時のアフリカ・ブームの波に乗ったのだった。アフリカに二年いたことが彼女の強みとなり、ジミーによれば、ブロードウェイ、ハリウッド、テレビのプロデューサーが電話をかけてきて、実際ジュリアが脚本のいくつかに目を通したことがある。その結果、これもジミーの言葉だが「モデルの仕事を断りたいと思うようになった」。ジュリアのようすはある程度のことは――非常に重要なことまで――ジミーをとおして知ることができた。ジュリアはジミーにとって、残った唯一の家族だったし、ジミーは私を信頼していた。私は彼が私の弟アーサーを愛していることを知っていたし、彼は私が彼の姉ジュリーを愛していることを知っていたからだ。