ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(28)DELLぺーパーバックP331~

ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(28)DELLぺーパーバックP331~

私の知る限り、空港や空の旅について書いた人はいない。

まず第一に、空を飛んでいると考えただけで、恐怖のあまり生きた心地がしなくて、書くどころではないというのが、世界で私一人ということはないだろう。「三万三千フィート上空を飛んでおります」という機長のアナウンスは困ったものだ。そんなことは知りたくもないし、まったく無用の情報である。地上ははるか下にあって、命懸けであるのはわかっている。こんなことは考えないようにしているし、怖がっているようには見えないと思うし、怖くないぞと自分に言いきかせているが、実のところ。怖がってもはじまらないのである。もちろん自動車のほうがもっと危険だし、縁石から下りて道路を横断するのも危険だし、浴槽やシャワーで死ぬ者もいる。私はヘビースモーカーで大酒飲みである。私の命を奪おうとするものは道路上にあふれていて、私はほかの人と同様、死に臨んですべてが燃え上がり、やがてゆらめいて消えるような致命的な衝撃にいつ遭遇するかわからない。てっとり早くすませたいものだが、そんな瞬間はこちらの都合に合わせてくれない。

何千何万という空港の人、この人の群れはどこへ向かうのか。地球上のいたるところへだ。そのすべてが数字化されている。フライト123はデイトンへ、246はツーソンへ、890はダラスへ、333はバーギンガム、679はバーギンガム、321はワシントンへ、3-4はボルチモア、5-6はピックアップスティック、そしてすべての善良な黒人は天国へ。

私が飛行機に乗りはじめたころは、電子監視装置はなかったし、ハイジャックやテロもなかった。テロリストの出現については、権力の座にあるものが責めを負うべきだ。実際、英国ほど頻繁にハイジャックを繰り返した国があるだろうか。あるいは、我が情けない合衆国以上にテロの技術にたけた国があるだろうか。そう、火の粉は自分の身に降りかかるのだ。テロリストは国家権力の後ろ盾がないゆえに、そう呼ばれる――テロリストには国がない。だからテロリストなのだ。国家権力は、いよいよというときには、テロによる統治も正当化する――これがフランコによる統治が長く続いている理由だし、南アフリカについても、否定のできない事実である。亡くなったエドガー・フーバーをテロリストと呼ぶ者はいないが、彼こそは正真正銘のテロリストなのだ。そして、このような文脈において「文明」の価値や「民主主義」や「倫理」について語ろうとするならば、とるに足らぬ黒人が口を手でふさいだり、変な顔をしたり――つまり、あなたのことを笑ったとしても、許せるだろう。私はあなた方の「倫理」に長い間耐えてきた。そして、今なおクソの山から這い出そうともがいている。奴隷が主人から学ぶことは奴隷らしくすることであり、こんなものは倫理ではない。