翻訳小説 グレアム・スイフト「ヒポコンデリア」最終回

四月も終わりに近づいた、明るいさわやかな朝、春にしては冷たい風が吹いてい

た。庭には水仙が咲き、白い花をつけたりんごの枝が時たま吹きつける強い風に

揺れている。バーバラは聖レオナルド病院め産科で赤ん坊を産むころだ。こんな

状態でなければ、私は出産に立ち会っていただろう。今この瞬間、分娩中かもし

れない。私はメイソンを見たり、庭の花が風に揺れるのを眺めながら、電話を待

っている。 

 

 幼いころ、大おじのルーリーが高級なワインをがぶ飲みし、太い葉巻をくゆら

せていたのもりんごの木の下だった。

 そのころ、彼は私のあこがれだったが、同時に怖い存在でもあった。バート病

院の有名な上級外科医であり、彼が最初に手術をしたときは、麻酔はまだクロロ

ホルムとエーテルを使用していた。服装も、チョッキにエプロンをして、腕まく

りという時代だった。患者の身体から切除したものを持って写っているルーリー

の写真が残っている。私は彼が怖かった。彼ばかりでなく、母方の親戚――おじ、

大おじは怖い存在だった。みんな黒いコートを着て、人の心を見透かすような目

をしていた。とりわけ、のこぎりと骨を削るのみを持った大おじのルーリーが怖

かった。

 どうしたら怖いものがない人生を送れるのか、私には理解できない。私は無知

で単純な少年だった。        

 しかし、それよりも、多くの人の命を救ったルーリーがなぜ引退したのか(私

が九歳のときだった)理解できない。医療用器具を手にしなくなってから、彼は

ひたすら食べ続け、飲み続けた。病気に関わることを職業とした者が、それまで

培った知識と周囲の非難を無視して、よくあれだけ、すぐ息が切れるほど肥満し、

赤い顔をして座ったままでいられるものだ。りんごの木の下で、完全に世界と調

和した日々を送っているように見えた。これがまた私を一層怖がらせたのである。

彼は私が怖がっているのを知っていた。「お前は何を怖がっているのだ」と彼は

言った。そして私の母に「この子は神経が細過ぎるな。今のうちに何とかせにゃ

いかんよ」と言うのだった。

 何とかしてくれたのは彼だった。猫が死んだ午後のことだ。私の母がキッチン

に入っていった。  猫の死体を見つけて、自分が最初に見つけたと思ったことだろ

う。すぐに私たちに知らせに戻ってきた。だれもが猫の死体をどうしたものかと

思案した。私は下を向いていたが、ルーリーは私をじっと見ていた。ほかの者が

騒いでいるのを制するように彼は言った。「ー緒においで。二人でやろう――し

ばらく二人だけにしてくれないか」。そして彼は籐椅子から立ち上がり、いらい

らしたように葉巻をもみ消した。 

 彼は私をガレージに連れていき、巨体を絞るようにして車のわきを通り抜け、

後ろの作業台に向かった。そして、作業台の上を片づけ、防水布を何枚か隙間な

く敷いて、その上に木の板を乗せた。大きくがっしりとした腕の先に、ピアニス

トのように精密で機敏な指があった。車の点検灯を固定して、その長い光束が作

業台の上で窓からの光と交錯するようにした。「さてと、あまり硬くならないう

ちに」と言って、彼は巨体をゆすりながらガレージを出て行き、片手にガスを抱

え、片手に外科用メス、ピンセット、探針の入った黒い革鞄を持って戻ってきた。

 「こんなものが怖いのか。死んだ動物が。見ていなさい」

 それから、猫を板に固定し、切開し、私に一つ一つの臓器を指し示し、それら

がどのように活動し、機能し、死に至ったか――死因は心臓発作だった――を、

猫の生理機能と人間のそれを関連づけて説明し、埋葬のためにひとまとめにして

片づけるまで五分とかからなかった。

 彼は、重々しいつまらなそうな顔で、心はほかにあるように単調に話した。

 この間ずっと、私はルーリーのメスさばきから目を離すことができなかった。

何事も見逃さないようにと頭を抑えつけられたまま、ガスの内臓のにおいをか

いだ。

 「わかったかね。どこに何があって、どういう働きをしているかわかれば、

怖いことなんか何もないんだよ」

 彼は満足そうにつぶやいた。笑顔は見せなかったが、自分の作業に満足しき

っていたのだろう。彼は自信たっぷりな態度で入念にメスをぬぐった。もう一

度、ばらばらになったガスの部分を集め、まるでモーターでも組み立てるよう

に生き返らせることができるようだった。

 その後、何事もなかったように、彼は庭で梨をかじっていた。

 今、私は、なぜ彼が木の下で太陽の光を顔に受けながら、満足そうに葉巻を

楽しんでいたか、なぜ結果も考えずに息もできないくらい太っていったかわか

る。健康とは、病がないことではなくて、病を無視することなのだ。

 私が医師になろうと思ったのはその日のことだった。

 

   診察室のブラインドの隙間からメイソンが動き回っているのが見える。幽霊

なんて信じていいものかどうかわからない。科学者である医師としては、そん

なものを信じるわけにはいかない。しかし医師だって病気のときには迷信深く

なることもあるし、縁起をかつぎたくなるときもある。スキヤンダルに巻き込

まれたビクトリア王朝期の医師から患者が離れていったように、私の患者も私

から離れていくだろう。庭では水仙が頭を垂れ、りんごの白い花吹雪が舞って

いる。妻は赤ん坊を抱いている。彼女が二つに分裂したようで、私は怖い。私

はこんなばかげた考えを持つべきではなかった。私はクッションにもたれて、

スリッパをはき、カーデガンを着て、窓際で電話を待っている。

 私が診察室で見たのは、本当にMだったのかどうかわからない。妻は本当に

クロフォードの子供だと知っているかどうかわからない。私の知っていること

はわずかなのだ。

 

 ルーリーおじは、私が十四歳のときに、肥満が原因で死んだ。彼を埋葬する

するときに、私は――これでどちらが好きだったかわかるというものだが、ガ

スをロック・ガーデンに埋めたときほどは悲しまなかった。彼は、幸福で、健

康で、平和だったと思う。だれに悲しんでもらう必要もなかった。今では、緩

慢な自殺だと思っている。彼は優秀な外科医であり、一流の医師であり、その

分野の達人であったことがすべてなのだ。彼は自身の隙間を埋めるように食べ

続けた。空虚な人生を満たしたかったのだ。

                                (了)