ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(27)DELLぺーパーバックP326~
ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(27)DELLぺーパーバックP326~
(ホールはサンフランシスコのホテルの一室で三十歳の誕生日を迎えた)
ホテルの一室で、私は一人だった。勤めているニューヨークの広告代理店の支店の仕事で、カリフォルニアの海岸に二カ月ほど滞在した。言うまでもないことだが、白人の経営する会社で、かつてはまったく締め出されていたこの分野に、六十年代になって黒人が進出するようになったのは特筆に値することだった。
三十歳。早くベッドから抜け出して、この節目の歳に向き合い、洗い流さねばなるまい。そんなに老いぼれる歳ではないのだ。実際、体調はいいし、三十歳の誕生日を一人で迎えたのは結構なことだと思えるのだ。人生を反省するなんてつまらんことだし、今まで生きてきたこと自体驚きでもあるし、喜ばしいことでもある。
天気はいいし、私はサンフランシスコが好きだ。昼食をともにするやつはいないかと思った。土曜日なのでオフィスにはだれもいないが、手帳には数人の電話番号が書いてある。
私はシャワーを浴び、服を着て、ルームサービスでコーヒーを頼んだ。窓の外には高層ビルのてっぺんしか見えないが、地上は私の好きな目の回るような坂のまちだ。
ルームサービスの女性がコーヒーを持ってきたとき、ちょうど電話が鳴った。
女性は東洋人で、すぐに出て行った。電話はフォークナーからだった。
フォークナーは私の上司の血縁だが、どんな血筋だかわかったもんじゃない。海賊の末裔じゃないのか。融通のきかない、ずる賢いブロンドだ。私はこいつが大嫌いだが、わずか二十歳にして繊細な道徳観をもっているのに驚かされたことがある。
「ホールかい?」と、歯切れのよい早口は、イギリスを舞台にしたハリウッド映画や、いろいろな私立高校を思わせる。
「はい」
「ちょっと事件がもち上がってね。君に戻ってきてほしいんだ」
「なぜ僕なんですか」
「何を言ってるんだ。フォークナーだよ。会社の共同経営――」
「それはわかってます。ただ、部署が違うので、僕に指示命令というのが解せないんです」
「いいかい。こっちで仕事があるから戻ってくれと頼んでるんだよ。なぜ、そう突っかかるんだい」
「何だか焦っているようだし、ふだん会社ではお付き合いがないものですから。それにきょうは土曜日――」
「それに、僕が嫌いなんだろう?」
「仕事に好き嫌いは持ち込みませんよ。ただ、さっきも言ったように、あなたから指示が出るというのが――」
私の話し方には頑ななところがあり、賢明とはいえなかった。
「君の褐色の目が好きだから電話してると思ってくれないか?君に会いたいんだよ。頼むよ」
なるほど、なるほど、という考えが何度か私の頭をよぎった。いつだって私を非難し続けたやつだ。
私も賢明ではなかったが、どうしようもなかった。「私もあなたに会いたいですよ。何があったんですか?」
「君のような優秀な黒人がうんざりするようなことだよ」
「一時の感情にかられると、いいことありませんからね。そんなに急ぎなんですか?」
「きょう飛行機に乗って、月曜の朝、きびきび、てきぱきしたところを見せてもらいたいんだ」
「えっ!?きょうですか?からかってんじゃないでしょうね」
「まじめな話だよ。頼んだよ」と言って、彼は電話を切った。