翻訳小説 グレアム・スイフト「ヒポコンデリア」2

  私は受付のスーザンに「帰っていいよ」と言い、カルテのチェックに忙しいふりをした。まだ七時前だった。一日じゅう照りつけていた太陽は低くなっていたが、赤みをおびて生き生きと輝いていた。  裏庭に面した窓から見えるりんごの木にはりんごがたわわに実り、家の壁を這うアメリカヅタは赤く色づいていた。 それにオレンジやピラカンサ。 ながめていると、  家に温室があるように思えて楽しくなる。  患者にとっても心がなごむ風景だろうと思う。  そんな感想を口にする患者もいた。 妻のことは考えたくなかった。 私は大叔父のローリーのことを思った。 そして時計を見て、待合室と診察室の鍵をしめ、 母屋につながるドアを抜けて家にもどった。 患者に対してするように、つとめて快活な、まじめな表情をつくるようにした。  妻はキッチンにいた。彼女は二十九歳である。 娘といってもおかしくない年齢だ。 私は、何かこわれやすい貴重品にふれるように、強過ぎないように妻を抱いた。

「見守りながら待つことよね」と妻は言った。

 Mは次の週に来た。そしてまた次の週も。冬の間じゅう、そんな間隔だった。最初の診察以来、私は彼のことがうとましかった。私は、完全なヒポコンドリアだと結論づけた。まず第一に、彼の偏執的なこだわりである。それから、自己の症状をどこまでも受け入れようとしているようすと、症状について語ることが矛盾するところである。たとえばあるとき、彼が痛いと言って指で示すのを「嘘だ」と決めつけたことがあった。すると、次に来たときには、痛みが「移った」――胸から下腹部へ、心臓から腎臓ヘ――と言うのである。それで私は診察し直さなければならない。しばらくすると、この痛みは彼の身体の至るところに出現し、とらえどころがなく、彼の好きな場所にいすわるのだ。私はお手上げとしかいいようがない状態であった。しばしば彼は典型的なありきたりの症状を訴える――だれでも医学百科の中に見つけることができるような症状である。だが、それから派生するはずの症状は出ないし、肉体的な兆候もない。それを指摘すると、「でも先生、本当に痛いんですよ」といつもの決まり文句を吐くのである。それで私も私の決めぜりふを出すしかない。「神に誓って、君はどこも悪いところはないんだ」。 

 彼の訴えにつきあっていたのではだめなことがわかってきた。  何かほかの手段をとらなければならなかった。彼のヒポコンドリアは明らかに神経的なものであり、それが合法的かつ臨床的に対処できる唯一のものだった。私は、彼の精神面の履歴や不安の面から心理学的な処方を考えるべきであったのだが、私はそれをやらなかった。彼の状態をまじめに考えれば考えるほど、深みにはまり、治療するどころか、かえって悪化すると思ったからだ。しまいには、Mというやつは診察料を払ってまで私に手の込んだ悪ふざけをしかけているのではないか、そんなものにひっかかってたまるかと思うようになった。ひととおりのことはやった、もう十分だ。これ以上彼の病気につきあって不愉快な思いをしなければならない理由は一つもない。誤解しないでほしい。私はもろもろの病気に関心があって医師になったわけではなく、人間の健康を信じているから医師になったのだ。私の親兄弟の半分は医師であるが、そのことが私の進路を決定したのではない。病気に対するには二つの態度がある。一つはしっかりした実践的な知識であり、もう一つは健康である。この二つは私が最も大切にしていることである。そして、健康とは、信じてもらいたいが、病がないことではなく、病を無視することなのである。謎の痛みなどにつきあっている暇はないのだ。