エリック・ドルフィ論集①「エッセンシャル・エリック・ドルフィ」(ライナーノーツ翻訳)

THE ESSENTIAL ERIC  DOLPHY

  エリック・ドルフィと同時代にロサンゼルスで育ったわれわれは、レコーディングから遠ざかっていたころの彼のことをよく覚えている。彼の最初のレコーディングは1949年、「ロイ・ポーターと17ビバッパー」のメンバーのときだった。二度目は1958年、チコ・ハミルトン・クインテットにいたときである。その間の9年間、彼は練習熱心で、ときたま鳥たちとジャムセッションをやる才能豊かな演奏者として認められていた。両親が作ってくれた裏庭のスタジオのそばでフルートを吹いていると、鳥たちが彼に話しかけ、彼はそれに答えるのだった。「オルフェと牧神」あるいは「西36番街のバンビ」みたいな話だと思う人もいるだろうが、ドルフィは故ドン・ミッチェルにこんなことを言っていた。「鳥たちは僕たちの音程の間の音をもっているよ。真似をしてみると、これがFとF#の間の音なんだな。だから、ピッチを上げるか下げるかしなくちゃならない。インディアンの音楽にも似たようなころがある。異なった音階と1/4音だ。君はどう思うかしらないが、僕は面白いと思うよ」。ドルフィの先生だったロイド・リースが、彼に鳥のさえずり、動物の鳴き声、人の話の中に音楽を聞きなさいと教えた。エリックはそれを実行していたわけだ。チャーリー・ミンガスもリースに音楽を学んだことがある。

 1954年の冬、ニューヨークに向かったドルフィは、ロサンゼルス出身のミュージシャンたちにあたたかく迎えられた。ミンガスをはじめ、ドン・チェリー、ドン・エリス、スコット・ラファロ、ジミー・ネッパー、チャーリー・ヘイデンジム・ホールオーネット・コールマンらがいた。プレスティジのニュー・ジャズ・シリーズのレコーディングから、1964年のベルリンでの客死までの間に、エリック・ドルフィはソロからオーケストラとの共演まで、幅広い活動を行った。ミンガスの最良の理解者であり、驚異的な練習量の成果と、情熱と、好奇心と、威厳と諧謔と4つの楽器の技巧を作品に表現した。このCDは、その彼の芸術のエッセンスを集めたものである。

 収録中5曲はアルトサックスの曲である。そのうち2曲がロサンゼルスの友人に捧げられている――ジェラルド・ウイルソン(“G.W.”)は一緒にバンドをやっていた仲間であり、レスター・ロバートソン(“Les”)はLCAA時代のクラスメイトであり、「エリック・ドルフィとモダンリズム」でクラブ・オアシスに出ていた。“The Meetin’”という曲には、ハンプトン・ホース牧師のコーラスメンバーだったころの思い出がこめられている。(ハンプトン・ホース・ジュニアは、日曜日にはピアノの練習があるからといって、教会に出ないで家にいることが多かった)。“Feathers”――この語はもともと単数で表記されていた――では、ドルフィの美しいバラードが聞かれる。この曲は、ヘイル・スミスが、チコ・ハミルトンのバンドにいたころのドルフィのためにフルートの曲として書いたものである。フェザーという言葉から、レナード・フェザーやバード(チャーリー・パーカーを)連想するが、作曲者自身は「ただ曲のタイトルにふさわしいと思っただけさ」と言っている。9曲目の“Status Seeking”では、ドルフィとブッカー・アービンとマル・ウオルドロン――ミンガス時代の仲間3人が顔をそろえた。

 5曲目の“Eclipse”は、ビリー・ホリデイのためにチャーリー・ミンガスが書いた曲であるが、ミンガス以外のバンドで演奏されたのは多分これが最初であろう。ここでは、ドルフィはEクラリネットを吹いている。“Feathers”と“Eclipse”でのエリック・ドルフィとロン・カーター(チェロ)のサウンドはチコ・ハミルトン時代の二人を思い出させる。

 バスクラリネットの技巧では、ドルフィの右にでる者はいなかった。本CD中2曲にそれが入っている。ミルト・ジャクソン作曲の“Ralph’s New Blues”は、サンフランシスコの作曲家今は亡きラルフ・J・グリースンのために書かれた曲であり、ジャッキー・バイヤードの“Bird’s Mother”は、トランペットのブッカー・リトルとの初共演であった。

 ジャッキー・バイヤードの“Ode to Charlie Parker”では、ドルフィはフルートを吹いている。ジェームズ・ニュートンは、最近私にこんな話をしてくれた。「過去から現在まで、フルート奏者の数は多いが、エリックが最高だ。彼は、コールマン・ホーキンスがテナーサックスのスタンダードを作ったのと同じように、フルートのスタンダードを作ったのだ。そして、そのスタンダードに近いところまでいった者はだれもいない」

 エリック・ドルフィが本CDに収録のレコーディングをおこなってから、30年がたってしまった。私は最近、ドルフィの友人だったヘイル・スミスとドルフィの思い出を語り合ったことがある。そのとき、私はこんなことを話した。「エリック・ドルフィが操る楽器は、それ自体が素晴らしい歌となる可能性があった。高く舞い上がり、低く舞い降り、風にただよって。けれども、水かきのついた足があって、鶏のようにコッコッと鳴いたり、家鴨のようにガアガア鳴いたり、彼がちょっと目をそらすと、チョコチョコ歩きだしたりする。彼がバスクラリネットの長いネックをつまみあげると、まるで白鳥が泳いでいるようだったなあ」。

 スミスはじっと聞いていたが、最後にこう言った。「僕が初めてエリック・ドルフィを聞いたのは、チコ・ハミルトンのところにいたときだったが、あんなに猛スピードでクリーンな演奏は聞いたことがなかった。フライパンの上のガラガラへびみたいだった」。

 これ以上のたとえはあるまい。

                          ウイル・ソーンバリイ