ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(12)DELLぺーパーバックP140

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ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」翻訳中

 私たちが店に入ったとき、ポールは演奏中だった。客を押し分けるようにして、カウンターの端の、アーサーとフロレンスが見える場所に出た。

 フロレンスはすぐに私たちを見たが、アーサーはそうではなかった。彼の視線は、父と店の客や店内のいろいろなものの間を行ったり来たりしていた。すぐに私に気づくだろう。しかし私は、しばらく自分がスパイになったように、まためったに訪れない瞬間に遭遇したように思い、緊張して自分自身を小さな見えないものにしようと努力しながら、私に気づかない弟の顔を見つめていた。

 彼は入学初日の小学生のような目をしていた。しかし、その小学生に立ち向かおうとする人並み優れたガキ大将の目であるかもしれなかった。彼の目は、小鳥や半透明の羽をもつ昆虫のような、素晴らしく大胆な正確さで動いていた。それはあちらこちらの小枝や石や大枝に光をあて、円を描きながら飛び立ち、舞い戻っては再び飛び立ち、大気、光、宇宙、危険そして領土や王国をつくりだし、大地に根を張って、静止してじっと観察しているようだった。私はアーサーが何を見ているのかわからなかった。たとえば、私からは暗くてよく見えないが、彼の左のほうに客がいて、その中の一人に憐れむような視線を送っているのが、なぜなのかよくわからなかった。彼がいる場所からは、カウンターの全部は見えない――端が見えるだけだ。彼はポールのピアノの前にすわっていて、ポールの後方のテーブルの客が――ぼんやりと――見えるだけだ。彼は地形を見定めて制圧しようとする意図をもって客を見つめているようであり、俳優が演技できる空間の物理的限界の可能性を計っているようであり、あるいはまた単純に、ジュリアが説教壇の手すりを握っているようでもあった。彼のまなざしは驚きでいっぱいであったが、無邪気ということではなかった。同時に未熟であり、当惑感にあふれていた。彼の目はすべてを取り込み、変動していた――彼の父が中心にあり、彼の母は錘であった。それから彼はマルタのほうを見て、すぐ彼女だとわかったが、私に気づかず、不安な表情になった。

 私に気づいたときの顔は、今でも忘れられない。最初、マルタ一人を見つけたとき、彼は彼女が私をだましていると思った。私が裏切られた――私に何か事件が起きたと思ったのだ。本来私がいるべきところに見えないので、彼の目は電気に打たれたように暗くなり、警戒の色が濃くなった。これは2秒か1秒、あるいはそれより短い間に起ったことで、マルタの顔にある何かが彼を安心させ、フロレンスが私を見ていたので、その視線を追うようにして私を見つけると、子どもっぽい開けっぱなしの笑顔になった。

 ポールがアドリブを弾いている間に、私たちは客をかきわけて何とか二人分の席を確保した。

 マルタとフロレンスは互いにキスを交わした。私はアーサーの顔をしばらく胸に抱いていた――彼の髪には最大の注意を払って――ママに、どうしてこんな夜更けにスキージクスを連れ出すんだ、何を飲んでるんだと耳元で小声で言うつもりだったが、つい声が大きくなってしまった。