ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」抄訳(36)DELLぺーパーバックP411~

(レッドの腕に残る麻薬注射のあとを見たピーナットは言った)

「レッド、力になるよ。何でもするよ。何でもするよ」私は彼をすわらせ、泣きやむまで抱きしめた。

「レッドは朝鮮戦争のときに現地で麻薬を覚えたと言っていた。わかるよと僕は言った。理解できると思ったんだ。彼は白人やユダヤ人に対する憎しみも話した。わかるよと僕は言ったけど、それは問題の本質じゃない。だからと言って盗みをしていいわけじゃないし、愛してくれる人を傷つけることが許されるわけじゃないし、彼自身を破滅させる行為が許されるわけじゃないんだ。二人で朝まで話し合ったよ。どこかほかの土地へ行って、二人でやり直そうと言ったけど、レッドは僕を巻き込みたくない、自力で更生する、信じてくれと言った。信じるよと僕は言ったけど、次に会ったときにはレッドはクスリをやめていた。けど、それもしばらくの間だった」

ピーナットはそこで話すのをやめた。窓の外を木々が飛ぶように過ぎ、彼は長い間、押し黙ったままだった。道路を転がるタイヤの音と、風の音だけが聞こえた。アーサーは厳粛な顔をして、目には輝きがあった。同じ車内にいても、違う場所にいるようだった。

「そのうちにママのテレビがなくなった。ばあさんの古い時計が消えた。一度だけ僕をワシントンに訪ねてきたことがあったが、部屋からステレオと洋服がなくなった」

ピーナットは涙声になったが、泣いてはいなかった。彼は煙草に火をつけ、座席にもたれかかった。

 「信用してくれとレッドが言って、二人でじっくり話し合ったころは、彼はまだタップダンスやボクシングをやっていて、いろいろ面白いことを話してくれた」

 ピーナットは煙草を大きく吸い込んだ。

 「あるとき、僕は屋根の上に寝そべっていた。二人でよくそうやって話したものだ。部屋に入ってピーナットがいないと、屋根の上に見つけることがあったし、その逆もあったんだ。その日も頭の下に手を組んで空を見ていると、レッドが上がってきて、いつもどおり、僕の腹のボタンをつついた。夏の夜で、何だかわからないが、あの年齢によくあるメランコリーな気分だったことを覚えている。僕もレッドをつつき返し、いつもはそこでふざけて取っ組み合いになるんだ。屋根の上なんで、転落するんじゃないかと心配だったよ。けど、その日はそうはならなかった。彼は私の隣りで膝をついていた。トレーナーに汚れの目立つ白いズボンをはいていた。僕はにやにや笑う彼の白い歯を見ていた」彼は言った。「何だかムシャクシャするなあ。リラックスさせてくれないか。いいやりかた知ってるんだ」「いいよ」と僕が言うと、彼は相変わらずにやにや笑いながら「教えてやるよ。俺が最初にお前にやってやるから、俺にもやってくれないか」僕は何だか気味が悪くなったが、いつもレッドの言うとおりにしてきたんだ。

 彼は僕のそばに横になって、僕のペニスをつかんで出した。自分でやり始めたばかりだったので、はじめは怖かった。「楽にしてな。いい気持ちにしてやるから。悪いことするわけじゃないんだ。あとで俺にやってくれよな。欲しいんだよ。今ひどく欲しいんだ」――同じことを彼にやってやる自分を想像するだけで、やってやりたくなった。そんなこと考えたこともなかった。けど、彼の手が動いている間、次は俺がやってやるんだと思うと、今まで自分一人でやるより、ずっと気持ちよくなってきたんだな。「どうだい?」と彼が聞いたときは、僕はあえぎながら「すごくいい」と答えたよ。彼がスピードを上げたので、僕はうめきながら目をつむった。この世界に彼の手しかないような気分になって、今までにないようないい気持でイッタよ。あれは空にまっすぐ飛び散って、僕のシャツと彼の手を濡らした」

 「俺の番だ」と彼は言った。

 僕は片方の手を彼の肩の下に回し、強く抱きしめ、片方の手で彼のペニスを取り出し、シコシコやりはじめた。彼はすっかりその気になって「ゆっくりな」と言った。新しく彼のためにしてやれることが見つかって、僕はうれしかった。前よりもずっと彼のことが好きになったよ。大きくなる彼のペニスを見ながら、言われたとおり、ゆっくり続けた。僕の耳のそばの彼の息づかい、僕の肩にぶつかっている彼の肩の感触は忘れられない。彼の体臭、彼のシャツの臭いも忘れられない。彼は赤ん坊のように僕にまかせきって、僕は彼の足の動きを見ていた。レッドは僕の知らないレッドをさらけ出して、ペニスはますます大きく硬くなって、僕の手からはみ出しそうだったし、動物のように跳びはねるんじゃないかと思ったよ。だんだん彼の息づかいが荒くなってきたので、僕は手に力を入れてスピードを上げ、力いっぱい抱きしめた。やがて彼は溺れそうな声を出して、足のつま先が震え、私の肩に顔を埋めた。僕は彼を抱く手にますます力を入れて、ペニスが波打って暗い空に放出するのを見つめていた。僕自身、何ともいえない幸せな気分につつまれた。

 彼がすわり直すのがバックミラーで見えた。彼は吸いさしの煙草から火をとって新しい煙草を口にくわえた。

 「服はまた買えばいいし、ステレオもそうさ。最悪ってわけじゃない。けど、愛する男への感情が憎悪に変わっていくのは最悪だった。自己嫌悪に陥っているレッドを僕は憎んだ。愛でいっぱいだった心が少しずつしぼんでいって、傷だらけの穴ぼこのようになるのにはつらいよ。その穴ぼこをどうやってうめたらいいのか。レッドは死んだと思うほかない。そして、レッドの思い出をぬぐい去ってきれいさっぱり消してしまうしかない。軽蔑と憎悪の苦い味を忘れ、傷だらけの穴ぼこを忘れるんだ。その穴ぼこは今も僕の中にあって、レッドのことを思うと、熱湯と冷水が背骨をかけめぐるんだ」ピーナットは煙草をもみ消し、座席に身体を沈めたので、バックミラーからは見えなくなった。だれも何も言わず、車は走り続けた。