ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」 【あらすじ22】

ジェームズ・ボールドウィン「頭のすぐ上に」 【あらすじ22】

  それから一週間後に、クランチは召集に応じてニューヨークを去った。夏が終わり、秋も過ぎて、人通りがめっきり少なくなった街を歩くアーサーの頭の中には、ゴスペル「新しい年が来る前に」が響き渡っていた。クランチは死んでしまうかもしれない。戻ってくるかもしれない。学校に通うときも、リハーサルのときも、週末に教会で歌うときも、ウエスタン・ユニオンでメッセンジャーのアルバイトをするときも、クランチに見守られているような気がした。クランチが軍法会議にかけられたり、拷問されたりする夢を見るので、アーサー自身は平静をよそおってはいても、両親が心配しているのはわかっていた。

   <私の歩む道を明るく照らし、重荷を軽くしてください。私の行いがすべて正しくあるようにお導きください。主のおそばにいることで私の心が喜びにふるえ、主の聖なる魂が私をみたし、主の広大無辺の御手が私をすくいとらんことを>と、部屋で歌っているとき、「その歌はお前にとって大きな意味があるようだね」父親のポールが言った。二人の間でクランチが話題となる。「クランチはホールと同じ、兄貴のようなものだろう?」と言うポールに対して、アーサーは「クランチは友だちだよ。兄弟より大事な友だちって、いないのかな」と、そっけなく答える。それに対してポールは、家族より他人が大切になることもあると、次のような話をする。

  「たとえば、お前がある女性と結婚したとする。彼女はママや私より大切な存在となるだろう。お前は彼女とともに生活し、子どもを育てるのだ。消えてゆく私たちはお前をたよりにすることはできないし、お前も私たちをたよりにすることはできない。だれも後ろ向きに歩くことはできないのだよ。そんなことをしたら破滅だからな。息子の破滅を望む親がどこにいるかね」