ジェームズ・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(34)DELLぺーパーバックP392~

「みなさん、きょうはニューヨークから歌手をお招きしています。だいぶ前からこちらでの公演をお願いしていたのですが……」彼女はここで少し間をおいて笑顔を見せた。「その辺のところは詳しくお話しする必要はないと思いますが、ピアノのアレキサンダー・T・ブラウンさんとおいでいただくことができました。彼がいつも私たちのために歌ってくれるのを私たちは知っています。今、彼は私たちと一緒にいます。では、みなさん、アーサー・モンタナさんです」

アーサーが説教壇のうしろから現れ、軽い足取りで、ピアノに向かっているピーナットのそばに歩み寄った。教会に静寂が流れ、わずかな物音と咳払いが聞こえた。ピーナットとアーサーは目を合わせ、アーサーがうなづくと、ピーナットは鍵盤を叩いた。

古い歌だった。この瞬間、古代から命ながらえてきた樹木の響きのようだった。

 

緑豊かな心地よい日陰の牧草地で

 

 名状しがたい賞賛と歓喜のハミングがわき起こった。今、この瞬間、この場で、この歌は新しい命を吹き込まれているのだった。

 

  神様はあいする子どもたちを導いてくださる

 

 周囲の人々の力を感じながら、私はアーサーを新しい驚きをもって見つめた。だれもが、彼は私たちのことを歌っているように思えた。長きにわたって秘匿されていた企図があわらになるようであった。まさに、彼は――我々であった。

 

冷たい水の流れに疲れた足を浸し

 

音もなく、人々がアーサーが歌っている先の歌詞や拍子をとらえて彼と一緒に歌うのが私には聞こえた。

 

神様は愛する子どもたちを導いてくださる

 

彼は人々をまっすぐに見つめ、教会の外の警官や州知事に届けとばかり、声を張り上げた。

 

ある者は水をくぐり

 

私はリード夫人の共感に満ちた顔や、壁に張りついた男たちの顔を見た。オルガンが入り、ゆったりした厳粛な証言のようドラムが始まった。

 

ある者は洪水に流され

 

教会は静寂につつまれて、人々の熱意がアーサーの歌声に集約されているようだった。そして、その歌声は時空を超えて広がっていった。私たちの背後の無限の道程は今、足を踏み入れた道の石のように現実のものとなった。

 

ある者は火の中を通り抜けなければならなかったが、

すべては主の血の中のできごとだった。

 

リード夫人は遠くを見るようなまなざしでうなづき、足を踏み鳴らした。

 

ある者は大きな悲しみに耐え

 

このとき、彼女は頭を上げ、まっすぐ前を見つめた。教会は静寂につつまれていたが、雷鳴のような轟に満ちていた。

 

主が歌を与えてくださるのは

 

もし私が教会の外の警官であり、あるいは州知事だったら、恐怖にかられただろう。膝から崩れ落ち、心の底から震え上がったことだろう。私は感動した。教会の中は静まり返っていた。

 

夜も昼も

 

アーサーの歌が中盤(サビ)にさしかかったころ、それまで息を詰めて聴いていた人々がふっと息を吐き出すような重圧を感じた。<そうよ。歌って>と叫ぶ声が聞こえた。巨大な火柱のような過去の雲からほとばしるような声だった。

 

水の中をくぐり抜けたことがあるだろうか?

洪水に押し流されたことがあるだろうか?

 

それに答えて、地の底からわき上がるような低い声が巻き上がった。<あります。主よ>

 

火の中をくぐり抜けたことがあるだろうか?

 

オルガンとドラムと人々が一体となって答え、コーラスがアーサーの歌に加わった。

 

主の血のみそぎを受けたことがあるだろうか?

 

アーサーが頭を後ろにそらしながら、教会の外の警官や州知事を越え、永久に消し去ることのできぬ地に染まった木々を越えて、歌声を延ばしきったときに、おごそかな沈黙が再び流れた。

 

 大きな悲しみに耐えたことがあるだろうか?

 

歌が終わりに近づくころ、オルガン、ピアノとコーラス、人々の顔、壁に張りついている警官たちの顔から発散されるものがあった。

 

 主が歌を与えてくださるのは

 夜も昼もなく

 

教会で育った者は、拍手をしないのがきまりだ。拍手をしないようにしつけられている。ただの観客なら拍手をするだろうが、教会にはただの観客はいないものだ。拍手のかわりに<ハレルヤ><アーメン><主を讃えよ>、あるいは顔の表情で表すのだ。ピーナットとアーサーは次の歌に移った。

 

 今朝、目覚めたとき

 いつものように私は自由だった

 

タンバリンが入り、オルガンが入り、私は周囲を見回したが、見回すまでもなく一斉に<ハレルー、ハレルー、ハレルーヤ>の歌声が起こり、私の内部でも大いなる躍動する喜びと力になった。