ジェームス・ボールドウイン「頭のすぐ上に」抄訳(7)DELLベーパーバツクP84

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(以下に登場するピーナットは、アーサーをリーダーとするコーラスグループ<シオンのトランペット>のメンバーであった)

 ピーナットは洗礼を受けてはいるが、ピーナットは洗礼名ではない。母親は彼を産み落としてすぐ死んでしまったので、彼に洗礼を受けさせたのは祖母だった。その直後、祖母と彼の父との関係が悪かったのか、父が失踪した。ピーナットは父の顔を知らない。ピーナットの本名はアレクサンダー・テオフィラス・ブラウン(彼の死体を探すようになるまで、私はこの名を知らなかった)といい、祖母がヘア・ドレッサーをしていたニューヨークのアルバニーで生まれた。彼はアーサーより1歳ぐらい、15か月年上で、私はアーサーを介して彼を知ったので、彼のことをよく知っているとはいえないのだ。私はアーサーの眼を通して人物を見ていた。私はアーサーではなく、私の眼はアーサーの眼ではないのに。なぜピーナットなんてあだ名がついたのかもわからない。そういうあだ名をつけた連中ともつき合いがなかったから、想像することもできない。だが、アーサーは――彼はその場にいたに違いない。どんな事情があったにせよ、ぴったりな、愉快な出来事があったのだろう。仲間たちは親愛の情をこめて、笑いながらこのあだ名を口にしていたものだ。私にはみんながそろって私を呼ぶようなあだ名はなかった。もし、あったとしたら、それをつけた人間は、私がそれに相応する行為をどこかでやったことを知っているのだろう。

 彼は容貌がピーナットに似ているわけではない。背が高くて、やせていて、髪はうす茶色の縮毛だった。私は彼をいちごと呼んでいた。バナナ色の肌の下にそんな形の赤い部分があったからだ。彼は細面で頬骨が高く、細長い琥珀色の目をしていた。冷静なのか怒っているのか、先史時代の仮面のような顔は、黙っていても恐ろしいような存在感があった。仮面のような顔と向き合って、喜びや驚きを期待していると――気休めのようなことを言わなくても――彼の顔が崩れて笑顔になり、面白いことを言い出すのだった。

 彼は孤児に等しい境遇であつたが、祖母には変わらぬ敬意を払っていた。彼女は黒人すべてを憎悪し、非難していた。特に孫と娘を、アルバニーにいられなくなったことで強く憎んでいた。その原因ははっきりしていて、地主たちの陰謀に過ぎなかった。その陰謀のせいで、彼女は店を安い値段で手放さざるをえなかったのである。おかげで、彼女は法律や銀行や保険の迷宮を経験し、引越先を探さなければならなかった。欠点の多い黒人(数え上げたらきりがない)であるが、彼女の逆境は黒人が仕組んだことではない。にもかかわらず、あの老婦人、ピーナットの祖母は我々黒人総体を非難した。そして、彼女の隣に立っているピーナットが朝のように潔白で、彼女の色が靴のように黒いという事態を好転させることはできなかったのである。ピーナットは母親似(あるいは父親似?)といわれていた。こんなことがすべて、ピーナットの心をかき乱した。それでも彼は祖母とうまくやっていこうと努力し、彼女も、陰気な、わびしい、厳しい彼女なりのやりかたで彼を愛したのだった。彼は、アルバニーを離れることになった苦しい経緯については話さなかった。アルバニーという町の退屈さで喘息になっていたので、そこを離れることはそれほどつらいことではなかった――しかし、それが彼の二つの顔と何か関係があることは確かかだった。