追悼 石渡幹夫【Ⅳ】弟へのレクイエム

     弟よ、さようなら。

  私達二町谷の子供等は、夏休みには猫島の猫耳の見える二町谷の浜で、それこそ毎日のように遊んだものだったよね。その頃の3時のおやつはさつまいものふかしたもの、もぎたてのトマト、そうそう、それから黄色いまくわうりだったね。

    姉が大学生の頃、あなたと二人でほんの短期間だったと思うけど、東京の新宿でくらしたことがあったね。おんば日傘で育った姉はあなたの世話を十分にできなかったなあと、今、少しばかり後悔しています。

    そうそう、それからあなたが大学受験の時、三重大学水産学部を受けに行く時、これまた姉と二人っきりで旅をしたよね。引橋からめったにでたことのない姉と弟の二人でかなり心細い、遠い旅だったのを覚えています。

   さあ、みんな集まったよ。独りぼっちではゆかせないよ……みんなで送るよ!!

   ほら、祖父ちゃんが一丁櫓の伝馬船で迎えに来ているのが見えるでしょう?

   大病だったのに痛みが少なかったのは、祖母ちゃんの心を込めた贈り物に違いない。

   叔母さんたちの三崎甚句も聞こえてきたでしよう。

   さあ、みんなの手には七色の紙テープがしっかり握られたよ。

   さあ、岸壁にちょうどいい風が吹いてきたよ。

   カモメの鳴き声が聞こえるでしょう。

   さあ、父の待つ、母の待つ、はるかな海原へ船出の時だ!!

   こんなに早くあなたを迎えに出るとは夢にも思わずにあなたを育てた父母なのに。

   あなたを可愛がった人達がみんな送っているよ。大勢の人達がみんなあなたを迎えに出ているのが見えてきたでしょう?

   さあ、今、船出の時。

   弟よ、もう一度さようなら。

   そして、弟よ、ありがとう。

               

                    早くに三崎を出て東京に嫁に行ってしまったあなたの姉より